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https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/2084
2024-03-29T10:14:19Z日語形容詞"omoi"的語意分析-包含"omoi","karui"非對稱性之考察-
https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/147342
題名: 日語形容詞"omoi"的語意分析-包含"omoi","karui"非對稱性之考察-; 形容詞「重い」の意味分析について ―「重い」と「軽い」における非対称性の考察も含めて―
Authors: 黃子綾; Huang, Tzu-Ling
摘要: 本研究以日語形容詞「重い」(omoi)為主要考察對象,以認知語言學的方式分析其語意。並以認知語言學的理論メタファー、メトニミー、スキーマ関係、フレーム関係等考察語意間的擴張關係。認為理解語意跟語意間的關係,也是另一種學習語言的重要方式之一。\r\n\r\n眾所皆知,日語形容詞「軽い」(karui)作為「重い」(omoi)的反義語。但經考察發現兩邊的語義其實有不對襯之關係,甚至連共起的名詞、動詞也有差別。所以本研究也考察了「軽い」(karui)的語意,並將其與「重い」(omoi)的語意做對比研究,發現兩者不對襯的語義及不同的共起名詞、動詞等,將其作了分類,並對其中一些不對襯的關係和不相同的共起名詞、動詞做了探討。; 本研究は、形容詞「重い」を主な考察対象として、認知言語学でその意味分析を行う。認知言語学の理論であるメタファー、メトニミー、スキーマ関係、フレーム関係を利用し、意味間の関連性を考察する。それによって、意味用法自体だけでなく、意味間の関連性を理解することにより、形容詞「重い」への認識を深めると考える。\r\n\r\n形容詞「軽い」は形容詞「重い」の対義語として見られている。しかし、考察によって、両方は対義語としても非対称性的な部分があって、共起する名詞や動詞も異なるところがある。本研究では、両方の意味分析を行ったあと、非対称性的な部分と共起する名詞・動詞が異なるところを分類して検討した。
描述: 碩士; 國立政治大學; 日本語文學系; 1095560022023-09-04T02:16:08Z變化構句中的標記之中日對照 ―以NARU為中心―
https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/143879
題名: 變化構句中的標記之中日對照 ―以NARU為中心―; Japanese and Chinese contrastive study of marker in Change construction ―focus on NARU―
Authors: 黃子昕; Hunag, Tzu-hsin
摘要: 本論文將探討日語變化句之なる(NARU)和中文標記之對應。NARU句為典型變化句型,幾乎能和所有謂語並用構成變化句型,活用度非常高。在日語學習中的初學階段就會習得NARU句型,通常教科書上都會把NARU譯為“變”或是“了”。然而,並非所有的NARU句型皆有變化之意,從論文回顧中可以得知NARU還有「敬語」、「繫辭」、「被動語態」…等用法,並不是每個用法都能夠表現出變化並譯為“變”或是“了”。本論文撇開了這些非變化用法之後,發現除了“變”或是“了”之外,仍有其他像是“開始”、“會”、“覺得”等標記高頻率地出現,本論文也試著整理這些標誌及其語意用法的偏差。最後,除了高頻出現的這些標記之外,也有多數無法被翻譯成中文的NARU句型,也就是無標記的句子。本論文最後試著整理出無標記的句子的三大語意用法,並試著解釋日文和中文對「變化」句型中的認知差異。; なるNARU is a typical expression meaning changing of state pattern that can be used in conjunction with almost any preposition to form a variant sentence pattern, and is very widely used. The NARU sentence pattern is learned at the beginning of the Japanese language learning process, and is usually translated as "變" or "了" in textbooks. However, not all NARU sentence patterns have a change of meaning, as we can see from the review of the paper that NARU is also used in "honorific", "conjugation", "passive voice", etc. Not every usage can show change and be translated as "變" or "了". After excluding these non-variant usages, this paper finds that besides "變" and "了", there are other usages such as "開始", "會","覺得".This paper also tries to sort out the deviations of these signs and their semantic usage. Finally, in addition to the frequent occurrence of these markers, there are also many NARU sentence patterns that cannot be translated into Chinese, i.e., unmarked expressions. Finally, this paper attempts to compile the three major semantic uses of unmarked expressions and to explain the differences in the perception of "change" sentence patterns between Japanese and Chinese.
描述: 碩士; 國立政治大學; 日本語文學系; 1095560012023-03-09T10:48:32Z台灣日語學習者的不滿表現之研究—與日語母語者及台灣人中文母語者之比較—
https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/143878
題名: 台灣日語學習者的不滿表現之研究—與日語母語者及台灣人中文母語者之比較—; 台湾人日本語学習者の不満表明に関する研究ー日本語母語話者と台湾人中国語母語話者との比較を通してー
Authors: 姜廷依; Chiang, Ting-I
摘要: 所謂「不滿表現」是指對於引起使人不悅狀況的對象所採取的言語行動。為了維護自己的立場,如果採取的言行不適當,常會傷害到對方的面子,對人際關係也有不良的影響。在現代這個國際化的時代,與外國接觸的機會急速地增加,提前了解與異文化之間的差異將能夠減少衝突與摩擦。\n本論文透過問卷調查,將台灣日語學習者在表達不滿時所使用的策略,以及後續為維持人際關係所採取的行動,與日語母語者及台灣中文母語者進行比較分析。調查問卷中設定了四個大學生在日常生活中容易遇到引起不滿的情境及其與對方之親疏關係,共八種狀況,分析三者對各狀況的不滿程度與欲表達程度,以及三者之間是否因為與對方親近與否而有不同的應對方式。調查結果顯示:\n(1) 除了情境1(噪音)之外的三個情境,不滿程度皆以學習者為最高,但學習者之欲表達程度僅介於日本人與台灣人之間。\n(2) 日本人不分親疏關係大多使用<確認情報>及<情報提供>兩種策略。台灣人及學習者對不親近的對象傾向於採取<不表明>策略,對親近的對象則傾向於採取<情報提供>及<要求改善>兩種策略。此外,台灣人使用<責備>及學習者使用<情報提供+要求改善>策略的比例也偏高。\n(3) 日本人大多採取理性的方式解決問題,台灣人則大多採取直接的方式明白地說出不滿;而學習者則受到兩方的影響,採取的方式介於兩母語者之間。\n(4) 日本人傾向不分親疏關係全部使用「普通體」;學習者則會因親疏關係而有所不同,對不親近的對象使用「丁寧體」,對親近的對象則使用「普通體」。\n(5) 為維持關係,三者皆傾向使用<不表達>策略,其中又以學習者的比例最高;其次,使用<傳達感謝>策略的比例則以日本人最高。; 「不満表明」というのは、ある好ましくない状況を起こした相手への言語行動への反応である。自分の立場を守るために相手のフェイスを侵害する場面に当り、言語行動が適切でなければ、人間関係に悪影響を与える可能性が高い。しかし、適切さの判断は文化によって異なる。外国や外国人との接触が急増してきた今日のグローバル時代において、そういった違いが明らかになれば、異文化間の誤解や摩擦を軽減できると考えられる。\nそこで、日台間の相互理解の促進を目指し、本研究は台湾人中国語母語話者と日本語母語話者との比較を通し、台湾人日本語学習者が不満を表明する時の言語行動を明らかにすることを目的とする。大学生にとって日常生活で遭遇しやすい四つの場面を選出し、場面ごとにさらに親の相手、疎の相手に分け、計八つの状況に設定した。アンケートによって得られたデータを不満度と表明欲の関係、不満表明手段の使用傾向、不満表明ストラテジーと人間関係維持ストラテジーの使用傾向について分析した。これまでの分析を通して、主に以下のような結果を得た。\n(1) 不満度に関して、場面1(騒音)を除き、すべての場面では学習者が三グループの中で不満度が一番高い。表明欲に関して、学習者は不満度が高いが、表明欲は日本人と台湾人の間の位置を占めている。\n(2) 日本人は<情報確認>と<情報提供>を多用し、台湾人と学習者は疎の相手に<不表明>、親の相手に<情報提供>と<改善要求>を多用する。また、台湾人の場合では<非難>、学習者の場合では<情報提供+改善要求>も上位を占めている。\n(3) 日本人は状況を解決しようとしている理性的なストラテジーを使うが、台湾人のほうがより不満をはっきり言い、直接的なストラテジーを使う。学習者は両方の影響を受け、ストラテジーの使用はその中間位置を占めている。\n(4) 日本人は親疎関係を問わず普通体を用いる傾向があるが、学習者は疎の相手には丁寧体、親の相手には普通体を用いる。\n(5) 関係維持ストラテジーについて、すべての場面において<不表明>を多用する中で、学習者の使用率がもっとも高い。また、<感謝伝達>をもっとも多く使うのは日本人である。
描述: 碩士; 國立政治大學; 日本語文學系; 1085560072023-03-09T10:48:16Z堀辰雄文學中「戀愛女性」之系譜—以「かげろふの日記」和「ほととぎす」為中心—
https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/141511
題名: 堀辰雄文學中「戀愛女性」之系譜—以「かげろふの日記」和「ほととぎす」為中心—; 堀辰雄文学における「恋する女」の系譜 ―「かげろふの日記」と「ほととぎす」を中心に―
Authors: 黃寶萱; Huang, Pao-Hsuan
摘要: 鍾情於西歐文學、以新心理主義流派作家而為人所知的日本小說家堀辰雄(1904−1953),卻在1940年代前後,一連創作了四篇以日本平安時代文學為背景的「王朝小說」,其中第一篇作品〈かげろふの日記〉,正是翻案了日本最古老的女流日記,由藤原道綱母所創作的《蜻蛉日記》。不過對於這篇翻案小說,歷來的研究中卻不乏批判性的意見,其中最常受到議論的,即是堀辰雄作品與原典間的差異,以及關於女主角道綱母的性格變更,使道綱母從原典中的「激情善妒」轉為「冷淡悲觀」之形象。\n 另一方面,根據堀辰雄本人在創作前後留下的書信及短篇文章,可以發現他從日本古典《蜻蛉日記》的女主角身上,看見了與德語詩人里爾克在其著作《馬爾泰手記》中所稱頌的「戀愛女性」相同的特質,因此想要將古典中的道綱母,依照自己的喜好重新塑造,賦予她能夠「超越命運的永遠姿態」。\n 如果說堀辰雄認為在原典的道綱母身上,早已存在某種東方與西洋共通的特質,那麼他又何必改變女主角的性格?而串聯起東西方的「戀愛女性」之概念,具體而言又是指涉女性的何種人格特質、或是行為模式?本研究試圖從此二疑問出發,首先闡明最為關鍵的「戀愛女性」概念後,運用敘事學(narratology)觀點將此概念解讀為一種敘事結構,進一步探討堀辰雄如何將此結構嵌入〈かげろふの日記〉以及續篇〈ほととぎす〉當中,創作出符合堀辰雄獨自理念的作品。\n 作為結論,堀辰雄並不是改變了原典道綱母的性格,而是運用「日記」敘事結構的特殊性,表現出道綱母處於「邁入中年,以悲觀、冷卻心境」來回顧年輕往事的姿態,更運用受里爾克啟發的「戀愛女性」概念,進一步幫助道綱母超越己身的不幸命運,達成堀所追求的其中一項文學課題──「生總比命運還要更加偉大」。; 堀辰雄(1904−1953)は、西欧文学に傾倒した新心理主義作家としてよく知られているが、その一方で、昭和十年代頃(1935〜1944)に、日本の王朝文学を題材とした翻案小説を相次いで発表したことでも知られる。その中の第一作にあたる「かげろふの日記」は、日本最古の女流日記として有名な『蜻蛉日記』を原典とした作品であるが、従来の先行研究の中には、堀のこの翻案作品に対し、それほど芳しくない評価を与えているものも散見される。それらの中でしばしば提起されるのは、堀作品と原典との差異についてであり、また女性主人公・道綱母の性格を「冷淡」かつ「諦観的」なものに変更したという原典改変の問題についてである。\n この問題に注目した時、堀自身が執筆当時に友人と交わした書簡や、自身の創作の経緯をまとめたエッセイの存在が改めて想起される。それらでは、道綱母のような「日本の古い女」の不幸の日記から、オーストリアの詩人リルケが自身の著書、『マルテの手記』で称賛した「恋する女」と共通している特質を発見したと述べられており、堀が「僕流」の道綱母像を作り上げようとしていたこと、そして彼女に「運命を超える永遠の姿」を与えようと企てていたことがわかる。\n だが、その時疑問となるのは、もし、『蜻蛉日記』の道綱母が、堀の言う通り、西洋の概念と共通する「恋する女」の性質を既に持っているのであれば、なぜその性格を改変する必要があったのか、という点である。本研究では、まず堀の創作動機となる「恋する女」という概念を明らかにすることを試みる。それが具体的にどのような条件や特質、或いは行動のパターンを有するものであるとされていたのか、その点を明瞭にした上で、「恋する女」を一種の物語構造として読み解き、堀がいかにしてその構造を「かげろふの日記」や続篇「ほととぎす」の中に組み込み、独自の理念を表現したのかを、物語論(ナラトロジー)のアプローチを用いて、考察を試みる。\n 結論として、本研究は、実は堀が原典『蜻蛉日記』の道綱母の性格を変えたのではなく、むしろ「日記」という形式における「語りの構造」やその仕組みを利用し、「中年に入って、悲観的になった」とされる道綱母の姿を巧妙に読者に提示し、さらにそのような道綱母を、「恋する女」の発展構造にそって、最終的に不幸な運命を「超越」させることを試みたのだと主張する。堀流の「恋する女」へと生まれ変わった道綱母と共に、堀の一つの文学的課題――「常にわれわれの生はわれわれの運命より以上のものである」という主題も、ここに完成を迎えることとなったのである。
描述: 碩士; 國立政治大學; 日本語文學系; 1085560042022-09-02T06:31:46Z