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Title: 相良長綱當政時期太魯閣族人與日方的互動(1896-1904)
Other Titles: 相良長綱執政時期のタロコ族と日本の交流(1896-1904)
Authors: 潘繼道
Contributors: 原住民族研究中心
Keywords: 太魯閣族;日本帝國;相良長綱;新城事件;李阿隆;哈鹿閣那威
タロコ族;大日本帝国;相良長綱;新城事件;李阿隆;ハロク・ナウイ
Date: 2015-10-30
Issue Date: 2016-01-05 13:37:02 (UTC+8)
Abstract: 1894年(清光緒20年,日明治27年),清帝國與日本帝國之間,因朝鮮問題爆發甲午戰爭;隔年(1895),雙方簽訂馬關條約,清帝國將臺灣割讓給日本。但因在臺灣西部平地遭遇漢人一連串的抵抗,日人的接收過程並不順利,直到1896年日人才進入東臺灣平地,並在新城駐紮軍隊。同年12月,因日本駐軍行為不檢,太魯閣族人與日方爆發第一次的流血衝突--「新城事件」,日人更於1897年1月展開報復性的攻擊行動。而在軍事行動無法使太魯閣族人屈服之後,日人嘗試用各種方式與太魯閣族人接觸,以便進行統治。本文即以日本官方檔案、歷來研究文獻等,探討以「綏撫」政策為主的相良長綱在其當政時期(1896-1904),太魯閣族人與日方的互動。
1894年(光緒20年、明治27年)、清帝国と大日本帝国の間で朝鮮半島を巡って日清戦争が勃発した。翌年、双方は下関条約に調印し、清は日本に台湾を割譲した。だが、台湾西部の平地で漢人が一連の抵抗戦を繰り広げたため、日本人による台湾接収の過程は順調とはいかず、日本人が東部の平地へ到達し、新城に軍隊を駐屯させたのは1896年のことであった。同年12月、日本人のふしだらな行為がきっかけで、タロコ族と日本側との初の流血抗争、「新城事件」が起きる。日本人は1897年1月に報復的な攻撃を展開するが、タロコ族を屈服させることはできなかった。そして日本側は統治に向けてあらゆる方法でタロコ族との接触を試みる。本文では日本側の公的資料やこれまでの研究文献などから、懐柔政策を主とする相良長綱執政期(1896−1904)のタロコ族と日本側の関わり合いを検討する。
Relation: 第八 回台日原住民族硏究論壇
主辦單位: 政大原住民族研究中心主辦
舉辦日期:2015.10.30-11.1
Data Type: conference
Appears in Collections:[2015第八回台日原住民族硏究論壇] 會議論文

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