DSpace Collection:
https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/80205
2024-03-19T06:34:35Z
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小林村大滿舞團來了―由東日本大震災受災地岩手縣山田町看來自臺灣的支援―
https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/80339
題名: 小林村大滿舞團來了―由東日本大震災受災地岩手縣山田町看來自臺灣的支援―
摘要: 2014年7月17日臺灣高雄的小林村民們組成的大滿舞團,到訪東日本大地震受災地,岩手縣下閉伊郡山田町。在山田町展開了激勵人心的公演。誠如眾所皆知地,小林村是2009年8月因受到第8號颱風(莫拉克颱風)引發水災(八八水災)的重創之地。之後,組成了「大滿舞團」[1]。經由每週二次的練習至今,才有了此次的公演。此次,小林村的大滿舞團訪問了日本地震受災地並進行公演,是為了藉此展現出小林村的復興狀況,同時也對各界的支援表達感謝之意[2]。災後,他們藉由投入「歌唱與舞蹈」來「療癒受傷的心靈」。此外,也同時製造出「由此找尋出新生命的力量」的契機[3]。2011年3月的東日本大震災之後,日本的受災地接收到了許多來自臺灣的援助。本發表當中,是以東日本大震災的受災地岩手縣山田町之視點來看關於小林村大滿舞團的慈善公演,並以此為報告之同時提及臺灣對受災地之支援。; 2014年7月17日、台湾高雄の小林村の人々がつくっている大満舞踊団が東日本大震災の被災地、岩手県下閉伊郡山田町にやってきた。山田町の人々を励ますための公演である。 周知のように小林村は、2009年8月の台風8号(モーラコット)による水害(八八水害)によって甚大な被害を受けた。その後、「大満舞団」と命名された舞踊団が結成された[1]。週に2回、練習を積み重ね、今回の公演に備えたという。今回、小林村の大満舞踊団は、日本の震災被災地を訪問し、公演することによって、小林村が復興していることを示し、これまでの支援に対する感謝の意を表すのだという[2]。被災後、彼らは「歌と踊り」に取り組むことで「傷ついた心を癒」すことができた。また、「そこから新たな生命の力を見出していく」きっかけをつくったのだという[3]。2011年3月の東日本大震災以後、日本の被災地は台湾から多くの援助をもらってきた。本発表では、東日本大震災の被災地である岩手県山田町からみた小林村大満舞踊団のチャリティー公演について報告しながら、台湾がおこなってきた被災地支援について言及する。
2016-01-04T09:08:02Z
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臺灣新認定的兩個民族
https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/80338
題名: 臺灣新認定的兩個民族
摘要: 臺灣在2014年6月26日由行政院宣布新認定兩個原住民族,分別是排序第15族的拉阿魯哇族與第16族的卡那卡那富族。這兩族,原屬於「鄒族」。他們與阿里山鄒族之間,原來共用一個族名,同時在語言親緣上有其相近性與在服裝穿著上有其相似性,這是大家長期以來對於「鄒族」的認知。但是仔細觀察,在社會組織(Hosa體系)上、在氏族結構上、在宗教與祭儀上,都不相同,尤其在語言溝通上,三族語言無法溝通。然後再從民族認知與民族意識上考察三族的實際狀況,我們得出三族都係獨立民族的結論。; 2014年6月26日、台湾の行政院は、第15族のサアロア族と第16族のカナカナブ族の二つの原住民族を新たに認定した。この二民族はもとは「ツォウ族」だった。彼らと阿里山ツォウ族は同じ民族名を用いていたうえ、言語の系統が近く服装も似ていることから、長い間「ツォウ族」とされてきた。しかし細かい点を見てみると、社会組織(Hosa体系)においても、氏族の構造においても、宗教・祭儀においても異なっており、特に言語においては三民族の言語は互いに通じないほどである。さらに民族的認識や民族意識の点から三民族の実情を考慮した結果、この三民族はそれぞれ独立した民族であるという結論に達した。
2016-01-04T09:07:50Z
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臺灣原住民族料理之環境文化史
https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/80337
題名: 臺灣原住民族料理之環境文化史
摘要: 本報告之目的,是由臺灣原住民族所烹煮之飲食文化為觀點,藉以考察所謂料理之文化裝置,在原住民族族人之環境利用上是為何種規定狀態。料理,有中華料理、日本料理或是被稱之為「和食」,是現今社會上一般所廣為人知之概念。近年來,料理被規制定位為文化遺產的事例也不在少數。另一方面,由生物採食行動的生態學來看,可以理解稱為料理之行為,是具有複合性要素之人類特有的文化性作為。換言之,是蘊釀出人類僅有的採食行動,食物之種類、數量、時間以及食用方式也是其蘊釀之結果。因此料理,是計劃性且具目的性的生態資源利用之集大成,因而也可視為是跨越世代承接文化之存在。想要以具有此種性質之料理為作業概念,試著考量原住民族既有飲食典範之傳統。具體而言,是以儀式上最重要的栽培植物小米以及象徵野生動物的肉類為中心,參照歷史記敍以及田野調查資料,提出利用環境的料理食譜,也試著視覺化原住民族多方面的環境利用。; 本報告の目的は、台湾原住民族の食文化を料理という観点からとらえ、料理という文化装置が原住民族の人々の環境利用をどのように規定しているかについて考察することである。料理は中華料理、日本料理、「和食」といった名称で一般社会にもよく知られた概念である。近年では、料理が文化遺産として制度的に位置づけられている事例も少なくない。一方で、生物の採食行動を生態学的にとらえた場合、料理という行為は複合的な要素をもつ人類特有の文化的所作であることが理解できる。換言すれば、人類のみが採食行動をデザインし、食べるものの種類、量、時間、食べ方をデザインしているということである。そして、料理は計画的、目的的な生態資源の利用が集約されていて、それが世代を越えて継承される文化装置であるとみなすことが可能となる。 こうした性質をもつ料理を作業概念として、原住民族の食のありかたの伝統を考えてみたい。具体的には、儀礼に最重要な栽培植物であるアワ、象徴化される野生動物の肉を中心にし、歴史的記述やフィールド調査のデータを参照しながら、料理の環境利用レシピを提案し、原住民族の多角的な環境利用の視覚化を試みる。
2016-01-04T09:07:37Z
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台湾・東南地域の「原住民」統治と沖縄・八重山統治の比較研究―田代安定の「旧慣」調査に基づく政策形成を軸に―
https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/80336
題名: 台湾・東南地域の「原住民」統治と沖縄・八重山統治の比較研究―田代安定の「旧慣」調査に基づく政策形成を軸に―
摘要: 本報告は、近代日本の「内国(国内)」植民地と称されてきた沖縄と、最初の「外地」植民地である台湾の統治政策を比較することが目的である。具体的には、沖縄と台湾における「旧慣」調査に基づく統治政策の形成を軸に比較を行うが、特に2004年に台湾大学で発見された「田代文庫」に収蔵される両地域に関する「旧慣」調査資料を分析対象とする。 「田代文庫」とは、1880年代から1920年代にかけて、沖縄と台湾において「旧慣」調査を行った官僚、田代安定(たしろ やすさだ:1857-1928)が遺した資料群である。申請者は、約7年前から、「田代文庫」に収蔵される沖縄に関する資料調査を進め、同文庫の沖縄関係資料の完全版の目録作成と全文翻刻に取り組んでいる。本報告では、こうした調査の成果の一端を紹介するとともに、田代による沖縄と台湾の両地域における「旧慣」調査資料に基づく統治政策の形成について論じたい。(すでに申請者は、関連する論考として「田代安定にみる恒春と八重山―「牡丹社事件」と熱帯植物殖育場設置の関連を中心に―」、2013年、『民族學界』を発表している)。 本報告では、田代が、明治政府や政府高官らへ提出した、沖縄・八重山諸島に関する統治政策についての建議書(「八重山諸島創業意見緒言」や「八重山群島急務意見書」など)と、台湾・東南海岸地域に関する統治、特に「原住民」統治に関する、政策についての意見書(「台湾島東南海岸管理庁設置ノ件」)を考察する。田代の「旧慣」調査を通して、近代日本の沖縄・八重山諸島への統治と台湾・東南海岸地域の「原住民」統治の政策形成の連関を明らかにすることができると考えている。こうした考察は、近代日本による「国内(内国)植民地」・沖縄と最初の「外地」植民地・台湾の統治政策の比較においても意義あるものとなるであろう。
2016-01-04T09:07:24Z