Please use this identifier to cite or link to this item: https://ah.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/137620
題名: もう一つの新嘗祭――植民地台湾における祭日としての展開
Seeing "Niiname-sai" as a Holiday : A Case Study of "Saijitsu" in Taiwan under Japanese Colonial Rule 
作者: 周俊宇
Jhou, Jyun-yu
貢獻者: 台史所
日期: Jul-2014
上傳時間: 29-Oct-2021
摘要: 本稿は近代日本における新嘗祭の祭日としての側面と、その植民地台湾での展開を検討する。新嘗祭の農事・神道信仰・近代天皇制イデオロギーにおける儀礼としての位置づけは、これまで数多くの先行 研究により論じられてきたが、祭日としての役割やその植民地での展開についてはあまり注目されてこ なかった。しかし、新嘗祭は新穀献納という性格を持っていたことから、それが同じ米食文化を持つ台 湾でも共有されやすく、祭日としての新嘗祭は比較的受容されやすい可能性を持ち得ていた。 本稿は、まず第1節で近代日本の祝祭日システムの制定過程、そして祝日と祭日の相違点を述べ、新 嘗祭の祭日における位置を検討する。第 2 節では植民地台湾での展開をみていく。領有初期の総督府が 新嘗祭に積極的に台湾人を取り込もうとする形跡はなかったが、1920 年代の内地延長主義統治期に入る と、宮中儀礼に供える新穀の献納をめぐり、国民統合の促進や農事の奨励の手段として使われるように なる。また戦時期では、食糧の大切さを謳う新穀感謝祭へと変身させられ、食糧の増産や節約を強調す る役割を果たすようになる。 新嘗祭は近代日本の天皇制イデオロギーで核心的な位置を占めつつも、新穀収穫というの性格を持ち あわせており、東アジアの各地域でも共有される可能性があったと考えられる。植民地台湾では、内地 延長主義や第 2 次世界大戦といった契機を経て、台湾人を対象に国民統合の役割を重ねていった。特に、 天長節や始政記念日とは異なり、新嘗祭は新穀献納という形で市民や学生・生徒のみならず、農民をも 巻き込み、一定の国民統合を促進する役割を果たしていたと考えられる。
關聯: 日本台湾学会報, No.16, pp.59-83
資料類型: article
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