學術產出-會議論文

文章檢視/開啟

書目匯出

Google ScholarTM

政大圖書館

引文資訊

TAIR相關學術產出

題名 《臺灣原住民族歷史地圖集》的建構與展望
其他題名 『台湾原住民族歴史地図集』の構築と展望
作者 魏德文
貢獻者 國立政治大學原住民族硏究中心
日期 2016
上傳時間 19-六月-2017 14:36:23 (UTC+8)
摘要 最早居住在台灣島上的是原住民族,他們是沒有使用文字的原住民,所以沒有留下文字文獻或地圖。人類航海大發現時代是晚近的4百年左右,外來人相續登陸島上,並與原住民族接觸,開始用他們的文字、地圖記錄台灣。我們嘗試以這些史料來建構原住民族的史料文獻。歐洲海權強國自東向或西向來到東方,並交匯在台灣。在航海大發現中測繪許多的地圖,福爾摩沙因而被呈現出來。荷蘭(1624–1611)及西班牙(1626–1642)是最早殖民台灣的國家,早期所繪製的台灣人文地圖中,所呈現最多的是平埔族或山區的原住民族,反而人的記錄相當的有限。直到1661年,鄭成功驅趕荷蘭人後,才有的漢籍的軍人駐進台灣。1683年,清廷靖海侯施琅率兵攻打鄭氏王朝,於1684年,清廷才將台灣納入清領地,建台灣府隸屬福建省。清廷開始派官吏及漢人拓墾。地方官開始編纂地方志及繪製長卷軸地圖多幅。特別是為漢番採隔離政策而繪製的「台灣民番界址圖」,目前得知繪製的有達7幅之多。十九世紀中葉台灣開港,外籍人士相續進入台灣,也因接觸後涉外事件頻傳。清廷的政策改變為開山撫番,從原來的隔離轉變為獎勵政策。又山區諸多山產,漢人從入山到開通北、中、南路,在其間也繪製相關的地圖。1895年,清日甲午戰爭簽定馬關條約,將台灣割讓與日本。日本登陸後即積極測量基本地形圖,初期土地調查局2萬分1;其後2萬5千分1。山區部分,自1907年開始調查5萬分1蕃地地形圖,從應急、假製到正式版、完成版及紅字添繪版,調查出龐大的地形圖,也輯製成20萬分1的蕃地圖。另再利用5萬分1再輯製成各類形的主題圖,豐富了原住民族的地圖。並以數據化來管理山區土地與住民。經長時間關注原住民族相關地圖史料,透過不同國家、不同文字、不同時間測得、不同測繪技法,並經彙整呈現《臺灣原住民族歷史地圖集》。有了這些基本資料,今後原住民族研究將啟開新視野。也期盼今後的原住民族文獻、史料建構,有待原住民族的借鏡,並拭目以待永續發展。台湾島に最も早くから住んでいたのは原住民族である。彼らは文字を持たない先住民のため、文献または地図を残すことはしなかった。四百年ほど前に始まった大航海時代には外来者が続々と台湾島に到来し、原住民族と接触しはじめ、自分たちの文字や地図を用い、台湾を記録した。本書ではこれらの文献を通して、原住民族の歴史文献の構築を試みた。欧州の海洋強国は東または西から東洋にやってきて、台湾で交差した。大航海時代に描かれた数多くの地図には、フォルモサである台湾が示されている。オランダ(1624–1611)とスペイン(1626–1642)は最初に台湾を植民地化した国である。初期の台湾の文化地図に多く記録されたのは平埔族または山岳地帯の原住民族であるが、人に関する記録は相当限られていた。そして、1661年、鄭成功はオランダ人を追放し、漢民族の軍隊が台湾に駐兵し始めた。1683年、清国の靖海侯である施琅は軍隊を率いて鄭氏王朝を攻めた。1684年になって清は台湾を編入し、福建省に属する台湾府を設けた。清の政府は役人と漢民族を派遣し、台湾を開拓した。地方の役人は地誌と多くの地図を編集した。中でも漢番隔離政策のために描かれた「台湾民番界址図」は,現在知られているものだけで7点あるとされている。十九世紀半ば、台湾の開港により、外国人が次々に台湾に進出したため、外国がらみの事件が頻発した。清国政府の政策は開山撫番に転向し、もとの隔離政策から奨励政策に一変した。また山岳地帯の数々の物産品を流通させるために、漢民族は山に入り、北部、中部、南部にそれぞれ道路を開き、これらの道も地図に描いた。1895年,日清戦争によって下関条約が結ばれ、戦敗した清国は台湾を日本に譲渡した。日本は台湾上陸後に、初期の土地調査局による2万分の1地図、その後の2万5千分の1地図など、積極的に基本図や地形図を測定した。山岳地帯に関しては、1907年から5万分の1の番地地形図の調査を始め、応急的なものから、仮製作、正式版、完成版、赤字追記版に至るまで製作し、膨大な地形図を残した。また、20万分の1の番地図も編集し、さらに5万分の1地図を利用し、各種のテーマ別地図を再編集した。こうして、原住民族の地図は豊かになり、数値化により山岳地帯の土地と住民を管理するようになった。長期にわたる原住民族に関する地図文献への関心と、異なる国や文字、それぞれの時代における、測量技術や製作方法を通して蒐集・整理された『台湾原住民族歴史地図集』は、基礎的な資料として、今後の原住民族研究において新たな視野を広げることになるだろう。この地図集を参照しつつ、原住民族文献や史料による構築がこれからも持続的な発展を遂げることを期待したい。
關聯 2016台日原住民族硏究論壇 = 日台原住民族硏究フォーラム = Taiwan-Japan forum on aboriginal studies
會議日期:2016.08.22
資料類型 conference
dc.contributor 國立政治大學原住民族硏究中心
dc.creator (作者) 魏德文zh_TW
dc.date (日期) 2016
dc.date.accessioned 19-六月-2017 14:36:23 (UTC+8)-
dc.date.available 19-六月-2017 14:36:23 (UTC+8)-
dc.date.issued (上傳時間) 19-六月-2017 14:36:23 (UTC+8)-
dc.identifier.uri (URI) http://nccur.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/110391-
dc.description.abstract (摘要) 最早居住在台灣島上的是原住民族,他們是沒有使用文字的原住民,所以沒有留下文字文獻或地圖。人類航海大發現時代是晚近的4百年左右,外來人相續登陸島上,並與原住民族接觸,開始用他們的文字、地圖記錄台灣。我們嘗試以這些史料來建構原住民族的史料文獻。歐洲海權強國自東向或西向來到東方,並交匯在台灣。在航海大發現中測繪許多的地圖,福爾摩沙因而被呈現出來。荷蘭(1624–1611)及西班牙(1626–1642)是最早殖民台灣的國家,早期所繪製的台灣人文地圖中,所呈現最多的是平埔族或山區的原住民族,反而人的記錄相當的有限。直到1661年,鄭成功驅趕荷蘭人後,才有的漢籍的軍人駐進台灣。1683年,清廷靖海侯施琅率兵攻打鄭氏王朝,於1684年,清廷才將台灣納入清領地,建台灣府隸屬福建省。清廷開始派官吏及漢人拓墾。地方官開始編纂地方志及繪製長卷軸地圖多幅。特別是為漢番採隔離政策而繪製的「台灣民番界址圖」,目前得知繪製的有達7幅之多。十九世紀中葉台灣開港,外籍人士相續進入台灣,也因接觸後涉外事件頻傳。清廷的政策改變為開山撫番,從原來的隔離轉變為獎勵政策。又山區諸多山產,漢人從入山到開通北、中、南路,在其間也繪製相關的地圖。1895年,清日甲午戰爭簽定馬關條約,將台灣割讓與日本。日本登陸後即積極測量基本地形圖,初期土地調查局2萬分1;其後2萬5千分1。山區部分,自1907年開始調查5萬分1蕃地地形圖,從應急、假製到正式版、完成版及紅字添繪版,調查出龐大的地形圖,也輯製成20萬分1的蕃地圖。另再利用5萬分1再輯製成各類形的主題圖,豐富了原住民族的地圖。並以數據化來管理山區土地與住民。經長時間關注原住民族相關地圖史料,透過不同國家、不同文字、不同時間測得、不同測繪技法,並經彙整呈現《臺灣原住民族歷史地圖集》。有了這些基本資料,今後原住民族研究將啟開新視野。也期盼今後的原住民族文獻、史料建構,有待原住民族的借鏡,並拭目以待永續發展。台湾島に最も早くから住んでいたのは原住民族である。彼らは文字を持たない先住民のため、文献または地図を残すことはしなかった。四百年ほど前に始まった大航海時代には外来者が続々と台湾島に到来し、原住民族と接触しはじめ、自分たちの文字や地図を用い、台湾を記録した。本書ではこれらの文献を通して、原住民族の歴史文献の構築を試みた。欧州の海洋強国は東または西から東洋にやってきて、台湾で交差した。大航海時代に描かれた数多くの地図には、フォルモサである台湾が示されている。オランダ(1624–1611)とスペイン(1626–1642)は最初に台湾を植民地化した国である。初期の台湾の文化地図に多く記録されたのは平埔族または山岳地帯の原住民族であるが、人に関する記録は相当限られていた。そして、1661年、鄭成功はオランダ人を追放し、漢民族の軍隊が台湾に駐兵し始めた。1683年、清国の靖海侯である施琅は軍隊を率いて鄭氏王朝を攻めた。1684年になって清は台湾を編入し、福建省に属する台湾府を設けた。清の政府は役人と漢民族を派遣し、台湾を開拓した。地方の役人は地誌と多くの地図を編集した。中でも漢番隔離政策のために描かれた「台湾民番界址図」は,現在知られているものだけで7点あるとされている。十九世紀半ば、台湾の開港により、外国人が次々に台湾に進出したため、外国がらみの事件が頻発した。清国政府の政策は開山撫番に転向し、もとの隔離政策から奨励政策に一変した。また山岳地帯の数々の物産品を流通させるために、漢民族は山に入り、北部、中部、南部にそれぞれ道路を開き、これらの道も地図に描いた。1895年,日清戦争によって下関条約が結ばれ、戦敗した清国は台湾を日本に譲渡した。日本は台湾上陸後に、初期の土地調査局による2万分の1地図、その後の2万5千分の1地図など、積極的に基本図や地形図を測定した。山岳地帯に関しては、1907年から5万分の1の番地地形図の調査を始め、応急的なものから、仮製作、正式版、完成版、赤字追記版に至るまで製作し、膨大な地形図を残した。また、20万分の1の番地図も編集し、さらに5万分の1地図を利用し、各種のテーマ別地図を再編集した。こうして、原住民族の地図は豊かになり、数値化により山岳地帯の土地と住民を管理するようになった。長期にわたる原住民族に関する地図文献への関心と、異なる国や文字、それぞれの時代における、測量技術や製作方法を通して蒐集・整理された『台湾原住民族歴史地図集』は、基礎的な資料として、今後の原住民族研究において新たな視野を広げることになるだろう。この地図集を参照しつつ、原住民族文献や史料による構築がこれからも持続的な発展を遂げることを期待したい。
dc.format.extent 9762357 bytes-
dc.format.mimetype application/pdf-
dc.relation (關聯) 2016台日原住民族硏究論壇 = 日台原住民族硏究フォーラム = Taiwan-Japan forum on aboriginal studies
dc.relation (關聯) 會議日期:2016.08.22
dc.title (題名) 《臺灣原住民族歷史地圖集》的建構與展望zh_TW
dc.title.alternative (其他題名) 『台湾原住民族歴史地図集』の構築と展望
dc.type (資料類型) conference