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題名 越境する詩人の群れ―明極楚俊・竺仙梵僊・天岸慧広の東行の経路を辿って―
越境的詩人群-探索明極楚俊.竺仙梵僊.天岸慧広東行的路徑
The transboundary poets: Following up Minki-Soshun, Jikusen-Bonsen, Tengan-Ekoh`s the way down east
作者 山藤夏郎
Santoh, Natsuo
貢獻者 日文系
關鍵詞 明極楚俊 ; 竺仙梵僊 ; 天岸慧広 ; 『東帰集』 ; 渡来僧 ; 明極楚俊 ; 竺仙梵僊 ; 天岸慧廣 ; 《東歸集》 ; 渡來僧|Minki-Soshun ; Jikusen-Bonsen ; Tengan-Ekoh ; Tohkishu ; foreign monks
Minki-Soshun  ;  Jikusen-Bonsen ;  Tengan-Ekoh ;  Tohkishu ;  foreign monks
日期 2018-12
上傳時間 21-Nov-2019 13:26:01 (UTC+8)
摘要 鎌倉時代から南北朝時代にかけて多くの禅僧が中国から日本へ海を越えてやって来た。本稿で取り上げる、明極楚俊〔1261-1336〕や竺仙梵僊〔1292-1348〕もまたそのような渡来僧の一人であり、嘉暦四年(1329)に同船で来日している。彼らは、その示寂に至るまでのそれぞれの期間、日本の禅林において大きな指導的役割を果たしたことが知られている。両名が来日することに至った経緯については、竺仙の語録に示されているが、両名の来日を説得する役を担ったものの一人に日本僧、天岸慧広〔1273-1335〕がいる。彼の詩集『東帰集』は、彼が明極と竺仙を連れて中国から鎌倉に辿り着くまでの旅程で製した詩(偈頌)作品を収めたものであるが、同集には伝自筆本と版本の二系統のテキストがあることが知られている。本稿では先行研究の成果を参照しつつ諸本間の作品配列の異同を検証し、さらに明極や竺仙、その他の禅僧の詩や墨蹟などとも相互に対照させることで、彼らが実際にどのような旅程を辿ってきたのかを明らかにする。そしてその過程で、従来知られてきた幾つかの事実に関する誤りを指摘するとともに、鎌倉幕府滅亡前夜の歴史的状況を、禅僧の動きを通して記述することを目指す。
鐮倉時代到南北朝時代,許多的禪僧從中國飄洋過海來到了日本。本論文所提到的明極楚俊[1261-1336]及竺仙梵僊[1292-1348]即為當時的渡來僧,兩位都是出身於明州,於嘉曆四年(1329)搭著同一艘船來到了日本。眾所皆知,他們在圓寂前,分別在不同時期,在日本的禪林扮演了相當大的指導性的角色。兩位渡來僧來到日本之經過原委,竺仙的語錄上皆有紀載。而扮演說服兩位來日的角色的是一位日本僧,名為天岸慧廣[1273-1335]。他的詩集『東歸集』收錄了他帶著明極和竺仙,從中國來到鐮倉的旅程中所寫的詩(偈頌)。而該詩集中有親筆本及印刷本兩種文本。本論文參照了先行研究的成果,對證兩種文本間的作品排列之異同,進而透過相互對照明極和竺仙、其他禪僧的詩或筆跡,以釐清他們實際上是踏上何種旅程來到了日本。並且在此過程中,也會指摘過去為人所知的幾個關於事實的錯誤見解,同時也將透過禪僧的活動來記述鐮倉幕府滅亡前一晚的歷史狀況。
關聯 淡江日本論叢, No.38, pp.71-97
資料類型 article
dc.contributor 日文系-
dc.creator (作者) 山藤夏郎-
dc.creator (作者) Santoh, Natsuo-
dc.date (日期) 2018-12-
dc.date.accessioned 21-Nov-2019 13:26:01 (UTC+8)-
dc.date.available 21-Nov-2019 13:26:01 (UTC+8)-
dc.date.issued (上傳時間) 21-Nov-2019 13:26:01 (UTC+8)-
dc.identifier.uri (URI) http://nccur.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/127398-
dc.description.abstract (摘要) 鎌倉時代から南北朝時代にかけて多くの禅僧が中国から日本へ海を越えてやって来た。本稿で取り上げる、明極楚俊〔1261-1336〕や竺仙梵僊〔1292-1348〕もまたそのような渡来僧の一人であり、嘉暦四年(1329)に同船で来日している。彼らは、その示寂に至るまでのそれぞれの期間、日本の禅林において大きな指導的役割を果たしたことが知られている。両名が来日することに至った経緯については、竺仙の語録に示されているが、両名の来日を説得する役を担ったものの一人に日本僧、天岸慧広〔1273-1335〕がいる。彼の詩集『東帰集』は、彼が明極と竺仙を連れて中国から鎌倉に辿り着くまでの旅程で製した詩(偈頌)作品を収めたものであるが、同集には伝自筆本と版本の二系統のテキストがあることが知られている。本稿では先行研究の成果を参照しつつ諸本間の作品配列の異同を検証し、さらに明極や竺仙、その他の禅僧の詩や墨蹟などとも相互に対照させることで、彼らが実際にどのような旅程を辿ってきたのかを明らかにする。そしてその過程で、従来知られてきた幾つかの事実に関する誤りを指摘するとともに、鎌倉幕府滅亡前夜の歴史的状況を、禅僧の動きを通して記述することを目指す。-
dc.description.abstract (摘要) 鐮倉時代到南北朝時代,許多的禪僧從中國飄洋過海來到了日本。本論文所提到的明極楚俊[1261-1336]及竺仙梵僊[1292-1348]即為當時的渡來僧,兩位都是出身於明州,於嘉曆四年(1329)搭著同一艘船來到了日本。眾所皆知,他們在圓寂前,分別在不同時期,在日本的禪林扮演了相當大的指導性的角色。兩位渡來僧來到日本之經過原委,竺仙的語錄上皆有紀載。而扮演說服兩位來日的角色的是一位日本僧,名為天岸慧廣[1273-1335]。他的詩集『東歸集』收錄了他帶著明極和竺仙,從中國來到鐮倉的旅程中所寫的詩(偈頌)。而該詩集中有親筆本及印刷本兩種文本。本論文參照了先行研究的成果,對證兩種文本間的作品排列之異同,進而透過相互對照明極和竺仙、其他禪僧的詩或筆跡,以釐清他們實際上是踏上何種旅程來到了日本。並且在此過程中,也會指摘過去為人所知的幾個關於事實的錯誤見解,同時也將透過禪僧的活動來記述鐮倉幕府滅亡前一晚的歷史狀況。-
dc.format.extent 775173 bytes-
dc.format.mimetype application/pdf-
dc.relation (關聯) 淡江日本論叢, No.38, pp.71-97-
dc.subject (關鍵詞) 明極楚俊 ; 竺仙梵僊 ; 天岸慧広 ; 『東帰集』 ; 渡来僧 ; 明極楚俊 ; 竺仙梵僊 ; 天岸慧廣 ; 《東歸集》 ; 渡來僧|Minki-Soshun ; Jikusen-Bonsen ; Tengan-Ekoh ; Tohkishu ; foreign monks-
dc.subject (關鍵詞) Minki-Soshun  ;  Jikusen-Bonsen ;  Tengan-Ekoh ;  Tohkishu ;  foreign monks-
dc.title (題名) 越境する詩人の群れ―明極楚俊・竺仙梵僊・天岸慧広の東行の経路を辿って―-
dc.title (題名) 越境的詩人群-探索明極楚俊.竺仙梵僊.天岸慧広東行的路徑-
dc.title (題名) The transboundary poets: Following up Minki-Soshun, Jikusen-Bonsen, Tengan-Ekoh`s the way down east-
dc.type (資料類型) article-