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題名 理性、空性、歷史的意識──新儒家と京都學派との哲學的對話
Reason, Emptiness and Historical Consciousness : A Philosophical Dialogue between Nishitani Keiji and Mou Zongsan
リセイ クウショウ レキシテキ イシキ シンジュカ ト キョウト ガクハ トノ テツガクテキ タイワ カワカミ ショウシュウ センセイ タイショク キネン ロンシュウ
作者 林鎮國œ‹
Lin, Chen-Kuo
貢獻者 政大哲學系
關鍵詞 理性;空性;歷史;新儒家;京都學派;哲學
日期 2007-03-20
上傳時間 13-Aug-2012 11:46:15 (UTC+8)
摘要 中国と日本の現代哲学における代表的な学派として、新儒家と京都学派は期せずとも二十世紀の中葉において、深刻な歴史
     的反省を行った。被らはともに双方を引き裂く戦争を経験し、画然とした対立関係にあったが、相互を知ることのない歴史的な境遇に置かれていた。彼らにとって、哲学は決して純粋な思弁の産物ではない。それは峻厳なる歴史的な危機から鍛練された運命の活路である。京都学派の学者らは戦後の政治的禁鍋に置かれても、なおその哲学を沈思し続け、遂に学術界において、国際的な注目を浴びたのである。新儒家の第二代は戦後間もなく国民党と共産覚との内戦に巻き込まれ、軍勢が潰えて南方に敗退した国民政府とともに香港と台湾に亡命し、両地においてその学統を枝葉のように広め、一大勢力の学派を樹立したのである。新儒家と京都学派はともに東アジアの戦乱を経て、伝統に立脚して現代に直面していたが、かつて対面して語り合う機会を一度も持たなかった。本論はこの遺憾を補い、新儒家の牟宗三 二九〇九〜九五) と京都学派の西谷啓治 (一九〇〇〜九∩〉) を中心に、彼らがそれぞれ儒家の 「理性」 の立場と仏教の「空性」 の立場から、自らの歴史的意識をいかに形成して構築したのかを考察しようと試みるものである。考察の重点はそれぞれ西谷啓治の戦時中の 「近代の超克」と戦後の 「空の歴史的意識」 の言説と、牟宗三が内戦後執筆した 『歴史哲学』 の内容に置く。最後に、本論の結論において双方の角度から両者を解き明かし、両者の過失を他山の石とすることによって、その半世紀彼の反響に置かれる我々が、歴史と哲学との緊張関係を反省し思考するように論述を進めたい。
關聯 倫理學(筑波大學倫理學研究會), 23, 195-216
資料類型 article
dc.contributor 政大哲學系en
dc.creator (作者) 林鎮國œ‹zh_TW
dc.creator (作者) Lin, Chen-Kuoen
dc.date (日期) 2007-03-20-
dc.date.accessioned 13-Aug-2012 11:46:15 (UTC+8)-
dc.date.available 13-Aug-2012 11:46:15 (UTC+8)-
dc.date.issued (上傳時間) 13-Aug-2012 11:46:15 (UTC+8)-
dc.identifier.uri (URI) http://nccur.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/53340-
dc.description.abstract (摘要) 中国と日本の現代哲学における代表的な学派として、新儒家と京都学派は期せずとも二十世紀の中葉において、深刻な歴史
     的反省を行った。被らはともに双方を引き裂く戦争を経験し、画然とした対立関係にあったが、相互を知ることのない歴史的な境遇に置かれていた。彼らにとって、哲学は決して純粋な思弁の産物ではない。それは峻厳なる歴史的な危機から鍛練された運命の活路である。京都学派の学者らは戦後の政治的禁鍋に置かれても、なおその哲学を沈思し続け、遂に学術界において、国際的な注目を浴びたのである。新儒家の第二代は戦後間もなく国民党と共産覚との内戦に巻き込まれ、軍勢が潰えて南方に敗退した国民政府とともに香港と台湾に亡命し、両地においてその学統を枝葉のように広め、一大勢力の学派を樹立したのである。新儒家と京都学派はともに東アジアの戦乱を経て、伝統に立脚して現代に直面していたが、かつて対面して語り合う機会を一度も持たなかった。本論はこの遺憾を補い、新儒家の牟宗三 二九〇九〜九五) と京都学派の西谷啓治 (一九〇〇〜九∩〉) を中心に、彼らがそれぞれ儒家の 「理性」 の立場と仏教の「空性」 の立場から、自らの歴史的意識をいかに形成して構築したのかを考察しようと試みるものである。考察の重点はそれぞれ西谷啓治の戦時中の 「近代の超克」と戦後の 「空の歴史的意識」 の言説と、牟宗三が内戦後執筆した 『歴史哲学』 の内容に置く。最後に、本論の結論において双方の角度から両者を解き明かし、両者の過失を他山の石とすることによって、その半世紀彼の反響に置かれる我々が、歴史と哲学との緊張関係を反省し思考するように論述を進めたい。
en
dc.format.extent 1555460 bytes-
dc.format.mimetype application/pdf-
dc.language zh_TWen
dc.language.iso en_US-
dc.relation (關聯) 倫理學(筑波大學倫理學研究會), 23, 195-216en
dc.subject (關鍵詞) 理性;空性;歷史;新儒家;京都學派;哲學en
dc.title (題名) 理性、空性、歷史的意識──新儒家と京都學派との哲學的對話zh_TW
dc.title (題名) Reason, Emptiness and Historical Consciousness : A Philosophical Dialogue between Nishitani Keiji and Mou Zongsanen
dc.title (題名) リセイ クウショウ レキシテキ イシキ シンジュカ ト キョウト ガクハ トノ テツガクテキ タイワ カワカミ ショウシュウ センセイ タイショク キネン ロンシュウzh_TW
dc.type (資料類型) articleen