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題名 台灣出兵的考察-從國際關係的視點
The Examination of Japan`s Dispatch of Troops to Formosa作者 洪偉翔
Hung, Wei Hsiang貢獻者 于乃明
Yu, Nai Min
洪偉翔
Hung, Wei Hsiang關鍵詞 台灣出兵
明治日本
牡丹社事件日期 2012 上傳時間 1-二月-2013 16:47:45 (UTC+8) 摘要 明治四年發生的琉球漁民在台灣東部外海觸礁乃至上岸後遭到牡丹社原住民殺害事件(牡丹社事件)為一個開端,明治政府在翌年將中日兩屬之地─琉球藩歸立於外務省所管之後,處理台灣事件漸漸地成為了政府的重要議題。只是當時日本國內因為征韓之爭而舉國歡騰的同時,台灣事件暫時被擱在一旁。直到明治六年十月,大久保利通因為發動政變把征韓論的始作俑者西鄉隆盛推翻之後,台灣出兵於是又被政府當成政要的論點,然後在國內外局勢的混亂之中,政府毅然推動了近代日本帝國史上最早的軍事活動-「台灣出兵」。看似簡單的對台用兵,其實其背後所隱含著意義更是甚為深遠。尤其吾人對於大久保政權遭遇政變,以及國內政局的不穩定(佐賀之亂剛平定不久),以及出兵在急即遭遇列強的反對等等因素下依然決定出兵的理由,感到非常地耐人尋味。要去探討這些問題的解答的同時,不得不延長地去思考當時政府的政策以及國際背景所引發的連鎖效應。加上在對台用兵的前三年,明治四年時後日本才剛和中國簽訂了「日清修好?規」,其中第一條以及第三條已經明訂互相理解彼此的政令不同,並且不侵犯以及不干預彼此的領地所在之條列,日本何以在三年後即用兵台灣實則耐人尋味。所以吾人覺得,要去探討這個議題,就要把視野放大從十九世紀中葉後期的國際關係中來探討中日之間的交渉,才能夠找出真正問題的癥結來。另外,從台灣出兵的諸多論文看來,很少有發表者從殖民地史來看待此事。吾人覺得台灣出兵一直到二十年後的中日甲午戰爭的結果造成台灣被割讓來看,台灣出兵實則深深影響到日本對台灣的看法,所以從「台日關係史」來看,這二十年似乎日本對台灣沒什麼牽扯到,可是絕對不是空白的二十年。 參考文獻 一、 史料(中国語&日本語):1、 文慶等奉勒編撰: 『籌辦夷務始末(同治朝)』、台北、國風出版社、1974年。2、 中央研究院近代史研究所編、『中美關係史料(同治朝) 』、南港、中央研究院、1968年。3、 王文穉、『甲戌公犢鈔存』、台北、台灣銀行經濟研究室編印、台灣文獻叢刊第三九種、1959年。4、 李鴻章、『李文忠公全集』、台北、文海出版社、1968年。5、 吳元炳輯、沈文肅公(葆楨)政書』、台北、近代中國史料叢刊第六輯、文海出版社、1966年。6、 李先得、『台灣番事物產與商務』、台北、台灣銀行經濟研究室編印、台灣文獻叢刊第四六種、1960年。7、 台灣史料集成編輯委員會編、『明清台灣檔案彙編(第肆輯) 』(第73、74冊)、台北、遠流出版社、2008年。8、 黃得峰、王學新譯、『處蕃提要』、南投、國史館台灣文獻館、2005年。9、 『同治甲戌日兵侵臺始末』、台北、台灣銀行經濟研究室編印、台灣文獻叢刊第三八種、1959年。10、 陳政三譯、愛德華・豪士(Edward H. House)著『征臺紀事:牡丹社事件始末』、中和、臺灣書房出版、 2008年11、 大久保利通、『大久保利通文書』、東京、日本史籍協会、1927年。12、 大久保利通、『大久保利通日記』、東京、日本史籍協会、1927年。13、 大隈重信、『大隈重信関係文書』、東京、日本史籍協会、1932年。14、 外務省調査部編纂、『大日本外交文書』、東京、日本国際協会、1939年。15、 岩倉具視、『岩倉具視関係文書』、東京、日本史籍協会、1931年。16、 中山泰昌、『新聞集成明治編年史』、東京、財政経済協会、1936年。17、 西里善行、「台湾事件と清国ジャーナリズム」(資料篇1,2,3,4)『琉球大学教育部紀要第一部』、琉球大学、1988年。(収録:循環日報、申報、万国公報、中西聞見録に掲載の台湾事件関連記事と論説)二、 日本語著書1、 王芸生、『日支外交六十年史』、東京、龍溪書舍、1987年。2、 金城正篤、『沖縄県の百年』、東京、山川、2005年。3、 藤崎済之助、『台湾史と樺山大将』、東京、国史刊行会、1926年。4、 中村隆英、伊藤隆合編、 『近代日本研究入門』、東京、東京大学出版社、1977年。5、 渡辺幾治郎編、『大隈重信』、東京、大隈重信刊行会、1952年。6、 正田健一郎訳/Lebra,Joyce C著、『大隈重信:その生涯と人間像』、東京、早稲田出版部、1980年。7、 梅田正己、『近代日本の戦争 : これだけは知っておきたい : 台湾出兵から太平洋戦争まで』東京都、高文研、 2010年。8、 明治維新史学会編、『明治維新とアジア』東京、吉川弘文舘、2001年。9、 石井孝、『明治初期の日本と東アジア』、横浜、有隣堂、1982年。10、 佐々木楊、『清末における中国の日本観と西洋観』、東京、東京大学出版会、2000年。11、 松永正義、『台湾を考えるむずかしさ』、東京、研文、2008年。12、 加藤雄三,大西秀之,佐々木史郎編、『東アジア内海世界の交流史 : 周縁地域における社会制度の形成』東京、人文書院、2008年。13、 東アジア近代史学会、『東アジアにおける万国公法の受容と適用』、東京、まゆに書房、1999年。14、 東アジア近代史学会編集『アジアにおける近代国際法』、東京、まゆに書房、2000年。15、 樺山愛輔、『父、樺山資紀』、東京、大空社、1988年。16、 井出紀和太、『南進台湾史考』、台北、南天、1995年。17、 植民地文化研究編集委員会編集、『植民地文化研究』、浦安市、植民地文化研究会、2002年。18、 又吉盛清、『日本植民化された台湾と沖縄』、台北、前衛、1997年。19、 渡邊幾治郎編輯、『大隈研究』、東京、早稲田大学大隈研究室、1952年。20、 毛利敏彦、『台湾出兵―大日本帝国の開幕劇』、東京、中央公論社、1996年。21、 内田修道など編纂、『明治建白書集成』、筑摩書房、1986-2000年。論文:22、田保橋潔、「琉球藩民蕃害事件に関する考察」、市村博士古稀記念東洋史論叢、1933年。23、松永正義、「台湾領有論の系譜―1874年の台湾出兵を中心について」、『台湾近代史研究』、龍溪書舍、1978年。24、金城正篤、「台湾事件(1871-1874年)についての一考察―琉球処分の起点としてー」、沖縄歴史研究創刊号、1965年。25、栗原純、「台湾事件(1871-1874年)-琉球政策の転機としての台湾出兵―」、『史学雑誌』第九号、1978年。26、許世楷、「台湾事件(1871-1874年」、『季刊国際政治』二八号、1964年。27、遠山茂樹、「征韓論・自由民権論・封建論」、『歴史学研究』四三号、1950年。28、藤村道生、「明治維新外交の旧国際関係への対応―日清修好条規の成立をめぐって」、『史学』14、名古屋大学文学部研究論文集XII、1966年。29、西里善行、「咸豐・同治期(幕末維新期)の中琉日関係再考―尚泰冊封問題とその周辺」、『東洋史研究』64、2006年。30、福地惇、「明治政府と木戸孝允」、日本・東洋文化日本史学研究室。31、白春岩、「明治初期における李鴻章の対日観」、『社会研論集』Vol.14、2009年。32、李啓彰、「日清修好条規成立過程の再検討―明治五年柳原前光の清国派遣問題を中心にー」、『史学雑誌』115、2006年。33、辻岡正巳、「大久保利通の富強化構想」、『広島経済大学経済研究論集』11(2)。34、安養寺信俊、「明治六年の対清交渉にみる副島外交の検討」、『岡山大学学院文化科学研究科紀要第二十号』、2005年。35、安岡昭男、「明治初期琉球台湾事件と左院」、法政大学沖縄研究所、2009年。36、川畑恵、「台湾出兵についての一考察」、『沖縄文化研究』16、1990年。37、張啓雄、「新中華世界秩序構想の展開と破綻―李鴻章の再評価に絡めてー」、『沖縄文化研究16、1990年。38、張啓雄、「日清互換條約において琉球の帰屬は決定されたか : 一八七四年の台湾事件に関する日清交渉の再検討」、沖縄文化研究』19、1992年。39、野口眞広、「明治七年台湾出兵の出兵名義について-柳原前光全権公使の交渉を中心にして-」、『ソシオサイエンス』Vol.11、2005年。40、西敦子、「台湾出兵にみる琉球政策の転換点」、『Historica』61、2008年。41、後藤新、「明治七年台湾出兵の一考察-台湾蕃地事務局を中心として-」、慶應義塾大学大学院法学研究科内『法学政治学論究』刊行会、2004年。42、家近良樹、「台湾出兵方針の転換と長州派の反対運動」、『史学雑誌』92(11)、1983年。43、波平恒男、「琉球処分再考―琉球藩王冊封と台湾出兵問題-」、政策科学・国際関係論集(11)、2009年。44、安岡昭男、「明治期官辺の台湾論策」、『沖縄文化研究』16、1990年。三、中国語著書:1、 藤井志津枝、『近代中日関係史源起―1871~74年台湾事件』、台北、金禾出版社、1992年。2、 全國日本經濟學會譯/藤崎濟之助著、『臺灣史與樺山大將 : 日本侵臺始末』、台北、海峽學術、2003年。3、 林呈蓉、『牡丹社事件的真相』、台北、博楊文化出版、2006年。4、 戴天昭、『台灣國際政治史』、台北、前衛、1996年。5、 趙國輝、『近代初期中日台灣事件外交』、台北、海峡学術出版、2008年。6、 陳淑銖、『李鴻章:晚清政治靈魂人物』、台北、幼獅文化、1990年。7、 黃秀政 、『台灣割讓與乙末抗日運動』、台北、台灣商務、1992年。8、 林子侯、『甲午戰爭前日本之內政與備戰』、嘉義、大人物、2001年。9、 林子侯、『中日關係論文集』、嘉義、2005年。10、 王璽、『李鴻章與中日訂約(一八七一)』、台北、中央研究院近代史研究所、2006年。11、 陳鵬仁訳、陸奥宗光著、『甲午戰爭:中日世界之戰』、台北、開今文化出版、1994年。12、 黃嘉謨、『美國與台灣:1784-1895』、台北、中研院近代史研究、1979年。13、 吳密察、『台湾近代史研究』、台北、稻鄉、1994年。14、 李定一、『中美早期外交史(1784-1894)年』、台北、傳記文學、1978年。15、 鹿島守之助、『日英外交史』、東京、1957年。論文:16、 劉申寧、「李鴻章的對日觀與晚清海防戰略」、『第三屆近百年中日關係研討會論文集』、中央研究院近代史研究所、1996年。17、 翁飛、「從馬關議和看李鴻章的思想轉變及對國策之影響」、『第三屆近百年中日關係研討會論文集』、中央研究院近代史研究所、1996年。18、 林子侯、「試論同治年間中日訂約經緯」、『東方雜誌』第十七卷第十二期、2005年。19、 林子侯、「乙末中日馬關條約之再檢視」、第三屆近百年中日關係研討會論文。20、 林子侯、「同光年間中日、台灣琉球之糾葛」、『台北文獻』第六十六期。21、 甘懷真、「台灣出兵與東亞近代國家的再編」、『アジア文化交流研究』関西大学アジア文化交流研究センター、2010年。四、西文資料1、Liu,Kwang-Ching,‘’China`s early modernization and reform movement : studies in late nineteenth-century China and American-Chinese relations‘’,Taipei, Academic Sinica,2009.2、Yen, Sophia Su-Fei, ‘’Taiwan in China`s foreign relations, 1836-1874‘’,Hamden Conn:Shoe String Press,1965.3、D.R. Howland ‘’Borders of Chinese civilization : geography and history 4、at Empire`s end‘’, Durham, N.C. : Duke University Press, 1996.5、C.E. De Long to Hamilton Fish, Japan, November 6,1872; USNA:MID, Japan, M-133, R-21 6、Charles William Le Gendre: Progressive Japan, A Study of the Political and Social Needs of the Empire, (NY and Yokohama: C. Levy,1878) pp.I-V, 95-97.7、William Barnes and John Health Morgan, The Foreign Service of the United States: Origins, Development, and Functions (Department of State, Washington, D. C., 1961)’ P 489. 描述 碩士
國立政治大學
日本語文學系碩士班
98556007
101資料來源 http://thesis.lib.nccu.edu.tw/record/#G0098556007 資料類型 thesis dc.contributor.advisor 于乃明 zh_TW dc.contributor.advisor Yu, Nai Min en_US dc.contributor.author (作者) 洪偉翔 zh_TW dc.contributor.author (作者) Hung, Wei Hsiang en_US dc.creator (作者) 洪偉翔 zh_TW dc.creator (作者) Hung, Wei Hsiang en_US dc.date (日期) 2012 en_US dc.date.accessioned 1-二月-2013 16:47:45 (UTC+8) - dc.date.available 1-二月-2013 16:47:45 (UTC+8) - dc.date.issued (上傳時間) 1-二月-2013 16:47:45 (UTC+8) - dc.identifier (其他 識別碼) G0098556007 en_US dc.identifier.uri (URI) http://nccur.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/56801 - dc.description (描述) 碩士 zh_TW dc.description (描述) 國立政治大學 zh_TW dc.description (描述) 日本語文學系碩士班 zh_TW dc.description (描述) 98556007 zh_TW dc.description (描述) 101 zh_TW dc.description.abstract (摘要) 明治四年發生的琉球漁民在台灣東部外海觸礁乃至上岸後遭到牡丹社原住民殺害事件(牡丹社事件)為一個開端,明治政府在翌年將中日兩屬之地─琉球藩歸立於外務省所管之後,處理台灣事件漸漸地成為了政府的重要議題。只是當時日本國內因為征韓之爭而舉國歡騰的同時,台灣事件暫時被擱在一旁。直到明治六年十月,大久保利通因為發動政變把征韓論的始作俑者西鄉隆盛推翻之後,台灣出兵於是又被政府當成政要的論點,然後在國內外局勢的混亂之中,政府毅然推動了近代日本帝國史上最早的軍事活動-「台灣出兵」。看似簡單的對台用兵,其實其背後所隱含著意義更是甚為深遠。尤其吾人對於大久保政權遭遇政變,以及國內政局的不穩定(佐賀之亂剛平定不久),以及出兵在急即遭遇列強的反對等等因素下依然決定出兵的理由,感到非常地耐人尋味。要去探討這些問題的解答的同時,不得不延長地去思考當時政府的政策以及國際背景所引發的連鎖效應。加上在對台用兵的前三年,明治四年時後日本才剛和中國簽訂了「日清修好?規」,其中第一條以及第三條已經明訂互相理解彼此的政令不同,並且不侵犯以及不干預彼此的領地所在之條列,日本何以在三年後即用兵台灣實則耐人尋味。所以吾人覺得,要去探討這個議題,就要把視野放大從十九世紀中葉後期的國際關係中來探討中日之間的交渉,才能夠找出真正問題的癥結來。另外,從台灣出兵的諸多論文看來,很少有發表者從殖民地史來看待此事。吾人覺得台灣出兵一直到二十年後的中日甲午戰爭的結果造成台灣被割讓來看,台灣出兵實則深深影響到日本對台灣的看法,所以從「台日關係史」來看,這二十年似乎日本對台灣沒什麼牽扯到,可是絕對不是空白的二十年。 zh_TW dc.description.tableofcontents 第一章 序章第一節 研究動機と目的―――――――――――――――――――――-4第二節 研究方法――――――――――――――――――――――――---7第三節 先行研究――――――――――――――――――――――――---9第二章 日本の「台湾出兵論」形成の背景 第一節 当時の国際関係の中の日本―――――――――――――-13第二節 日清修好条規の締結における日清関係の変化2-2-1 日清修好条規締結――――――――――――――――------152-2-2 条約に対する解釈の異同――――――――――――――---18第三節 琉球藩の設置と中日琉関係の変容2-3-1 琉球と中日との関係――――――――――――――――-----202-3-2 琉球藩の設置―――――――――――――――――――------21第四節 アメリカの建言による副島の台湾出兵論の形成2-4-1 台湾遠征計画の発端―――――――――――――――-----232-4-2 アメリカ人の煽動――――――――――――――――-------24第三章 台湾出兵の具体化と日本の国内情勢第一節 副島が主導する対清外交3-1-1 リゼンドル覚書の提出――――――――――――――------273-1-2 副島の渡清―――――――――――――――――――--------283-1-3 渡清の経過―――――――――――――――――――--------303-1-4 副島対清外交の検討―――――――――――――――------32第二節 征韓論の浮上3-2-1 征韓論の出現――――――――――――――――――--------353-2-2 征韓論の再起――――――――――――――――――--------36第三節 政府内の大変動3-3-1 岩倉使節団の帰朝――――――――――――――――-------383-3-2 論争と政変―――――――――――――――――――---------40第四章 台湾出兵とその意義第一節 大久保政権による台湾出兵方針の決定4-1-1 反征韓論から台湾出兵へ―――――――――――――-----434-1-2 台湾出兵方針の決定―――――――――――――――------454-1-3 台湾への領有意図――――――――――――――――-------47第二節 台湾出兵の実行4-2-1 外国公使の干渉と西郷の暴走―――――――――――----504-2-2 柳原公使の対清交渉―――――――――――――――------534-2-3 大久保の渡清――――――――――――――――――--------564-2-4 イギリスの調停による紛争の解決―――――――――----59第三節 日本の台湾出兵の意義とその影響4-3-1 明治政府初の対外出兵――――――――――――――------624-3-2 アジアにおける万国公法秩序への算入―――――――--644-3-3 出兵における領台意図と植民地的側面―――――――--66第五章 結章――――――――――――――------------------71 zh_TW dc.language.iso en_US - dc.source.uri (資料來源) http://thesis.lib.nccu.edu.tw/record/#G0098556007 en_US dc.subject (關鍵詞) 台灣出兵 zh_TW dc.subject (關鍵詞) 明治日本 zh_TW dc.subject (關鍵詞) 牡丹社事件 zh_TW dc.title (題名) 台灣出兵的考察-從國際關係的視點 zh_TW dc.title (題名) The Examination of Japan`s Dispatch of Troops to Formosa en_US dc.type (資料類型) thesis en dc.relation.reference (參考文獻) 一、 史料(中国語&日本語):1、 文慶等奉勒編撰: 『籌辦夷務始末(同治朝)』、台北、國風出版社、1974年。2、 中央研究院近代史研究所編、『中美關係史料(同治朝) 』、南港、中央研究院、1968年。3、 王文穉、『甲戌公犢鈔存』、台北、台灣銀行經濟研究室編印、台灣文獻叢刊第三九種、1959年。4、 李鴻章、『李文忠公全集』、台北、文海出版社、1968年。5、 吳元炳輯、沈文肅公(葆楨)政書』、台北、近代中國史料叢刊第六輯、文海出版社、1966年。6、 李先得、『台灣番事物產與商務』、台北、台灣銀行經濟研究室編印、台灣文獻叢刊第四六種、1960年。7、 台灣史料集成編輯委員會編、『明清台灣檔案彙編(第肆輯) 』(第73、74冊)、台北、遠流出版社、2008年。8、 黃得峰、王學新譯、『處蕃提要』、南投、國史館台灣文獻館、2005年。9、 『同治甲戌日兵侵臺始末』、台北、台灣銀行經濟研究室編印、台灣文獻叢刊第三八種、1959年。10、 陳政三譯、愛德華・豪士(Edward H. House)著『征臺紀事:牡丹社事件始末』、中和、臺灣書房出版、 2008年11、 大久保利通、『大久保利通文書』、東京、日本史籍協会、1927年。12、 大久保利通、『大久保利通日記』、東京、日本史籍協会、1927年。13、 大隈重信、『大隈重信関係文書』、東京、日本史籍協会、1932年。14、 外務省調査部編纂、『大日本外交文書』、東京、日本国際協会、1939年。15、 岩倉具視、『岩倉具視関係文書』、東京、日本史籍協会、1931年。16、 中山泰昌、『新聞集成明治編年史』、東京、財政経済協会、1936年。17、 西里善行、「台湾事件と清国ジャーナリズム」(資料篇1,2,3,4)『琉球大学教育部紀要第一部』、琉球大学、1988年。(収録:循環日報、申報、万国公報、中西聞見録に掲載の台湾事件関連記事と論説)二、 日本語著書1、 王芸生、『日支外交六十年史』、東京、龍溪書舍、1987年。2、 金城正篤、『沖縄県の百年』、東京、山川、2005年。3、 藤崎済之助、『台湾史と樺山大将』、東京、国史刊行会、1926年。4、 中村隆英、伊藤隆合編、 『近代日本研究入門』、東京、東京大学出版社、1977年。5、 渡辺幾治郎編、『大隈重信』、東京、大隈重信刊行会、1952年。6、 正田健一郎訳/Lebra,Joyce C著、『大隈重信:その生涯と人間像』、東京、早稲田出版部、1980年。7、 梅田正己、『近代日本の戦争 : これだけは知っておきたい : 台湾出兵から太平洋戦争まで』東京都、高文研、 2010年。8、 明治維新史学会編、『明治維新とアジア』東京、吉川弘文舘、2001年。9、 石井孝、『明治初期の日本と東アジア』、横浜、有隣堂、1982年。10、 佐々木楊、『清末における中国の日本観と西洋観』、東京、東京大学出版会、2000年。11、 松永正義、『台湾を考えるむずかしさ』、東京、研文、2008年。12、 加藤雄三,大西秀之,佐々木史郎編、『東アジア内海世界の交流史 : 周縁地域における社会制度の形成』東京、人文書院、2008年。13、 東アジア近代史学会、『東アジアにおける万国公法の受容と適用』、東京、まゆに書房、1999年。14、 東アジア近代史学会編集『アジアにおける近代国際法』、東京、まゆに書房、2000年。15、 樺山愛輔、『父、樺山資紀』、東京、大空社、1988年。16、 井出紀和太、『南進台湾史考』、台北、南天、1995年。17、 植民地文化研究編集委員会編集、『植民地文化研究』、浦安市、植民地文化研究会、2002年。18、 又吉盛清、『日本植民化された台湾と沖縄』、台北、前衛、1997年。19、 渡邊幾治郎編輯、『大隈研究』、東京、早稲田大学大隈研究室、1952年。20、 毛利敏彦、『台湾出兵―大日本帝国の開幕劇』、東京、中央公論社、1996年。21、 内田修道など編纂、『明治建白書集成』、筑摩書房、1986-2000年。論文:22、田保橋潔、「琉球藩民蕃害事件に関する考察」、市村博士古稀記念東洋史論叢、1933年。23、松永正義、「台湾領有論の系譜―1874年の台湾出兵を中心について」、『台湾近代史研究』、龍溪書舍、1978年。24、金城正篤、「台湾事件(1871-1874年)についての一考察―琉球処分の起点としてー」、沖縄歴史研究創刊号、1965年。25、栗原純、「台湾事件(1871-1874年)-琉球政策の転機としての台湾出兵―」、『史学雑誌』第九号、1978年。26、許世楷、「台湾事件(1871-1874年」、『季刊国際政治』二八号、1964年。27、遠山茂樹、「征韓論・自由民権論・封建論」、『歴史学研究』四三号、1950年。28、藤村道生、「明治維新外交の旧国際関係への対応―日清修好条規の成立をめぐって」、『史学』14、名古屋大学文学部研究論文集XII、1966年。29、西里善行、「咸豐・同治期(幕末維新期)の中琉日関係再考―尚泰冊封問題とその周辺」、『東洋史研究』64、2006年。30、福地惇、「明治政府と木戸孝允」、日本・東洋文化日本史学研究室。31、白春岩、「明治初期における李鴻章の対日観」、『社会研論集』Vol.14、2009年。32、李啓彰、「日清修好条規成立過程の再検討―明治五年柳原前光の清国派遣問題を中心にー」、『史学雑誌』115、2006年。33、辻岡正巳、「大久保利通の富強化構想」、『広島経済大学経済研究論集』11(2)。34、安養寺信俊、「明治六年の対清交渉にみる副島外交の検討」、『岡山大学学院文化科学研究科紀要第二十号』、2005年。35、安岡昭男、「明治初期琉球台湾事件と左院」、法政大学沖縄研究所、2009年。36、川畑恵、「台湾出兵についての一考察」、『沖縄文化研究』16、1990年。37、張啓雄、「新中華世界秩序構想の展開と破綻―李鴻章の再評価に絡めてー」、『沖縄文化研究16、1990年。38、張啓雄、「日清互換條約において琉球の帰屬は決定されたか : 一八七四年の台湾事件に関する日清交渉の再検討」、沖縄文化研究』19、1992年。39、野口眞広、「明治七年台湾出兵の出兵名義について-柳原前光全権公使の交渉を中心にして-」、『ソシオサイエンス』Vol.11、2005年。40、西敦子、「台湾出兵にみる琉球政策の転換点」、『Historica』61、2008年。41、後藤新、「明治七年台湾出兵の一考察-台湾蕃地事務局を中心として-」、慶應義塾大学大学院法学研究科内『法学政治学論究』刊行会、2004年。42、家近良樹、「台湾出兵方針の転換と長州派の反対運動」、『史学雑誌』92(11)、1983年。43、波平恒男、「琉球処分再考―琉球藩王冊封と台湾出兵問題-」、政策科学・国際関係論集(11)、2009年。44、安岡昭男、「明治期官辺の台湾論策」、『沖縄文化研究』16、1990年。三、中国語著書:1、 藤井志津枝、『近代中日関係史源起―1871~74年台湾事件』、台北、金禾出版社、1992年。2、 全國日本經濟學會譯/藤崎濟之助著、『臺灣史與樺山大將 : 日本侵臺始末』、台北、海峽學術、2003年。3、 林呈蓉、『牡丹社事件的真相』、台北、博楊文化出版、2006年。4、 戴天昭、『台灣國際政治史』、台北、前衛、1996年。5、 趙國輝、『近代初期中日台灣事件外交』、台北、海峡学術出版、2008年。6、 陳淑銖、『李鴻章:晚清政治靈魂人物』、台北、幼獅文化、1990年。7、 黃秀政 、『台灣割讓與乙末抗日運動』、台北、台灣商務、1992年。8、 林子侯、『甲午戰爭前日本之內政與備戰』、嘉義、大人物、2001年。9、 林子侯、『中日關係論文集』、嘉義、2005年。10、 王璽、『李鴻章與中日訂約(一八七一)』、台北、中央研究院近代史研究所、2006年。11、 陳鵬仁訳、陸奥宗光著、『甲午戰爭:中日世界之戰』、台北、開今文化出版、1994年。12、 黃嘉謨、『美國與台灣:1784-1895』、台北、中研院近代史研究、1979年。13、 吳密察、『台湾近代史研究』、台北、稻鄉、1994年。14、 李定一、『中美早期外交史(1784-1894)年』、台北、傳記文學、1978年。15、 鹿島守之助、『日英外交史』、東京、1957年。論文:16、 劉申寧、「李鴻章的對日觀與晚清海防戰略」、『第三屆近百年中日關係研討會論文集』、中央研究院近代史研究所、1996年。17、 翁飛、「從馬關議和看李鴻章的思想轉變及對國策之影響」、『第三屆近百年中日關係研討會論文集』、中央研究院近代史研究所、1996年。18、 林子侯、「試論同治年間中日訂約經緯」、『東方雜誌』第十七卷第十二期、2005年。19、 林子侯、「乙末中日馬關條約之再檢視」、第三屆近百年中日關係研討會論文。20、 林子侯、「同光年間中日、台灣琉球之糾葛」、『台北文獻』第六十六期。21、 甘懷真、「台灣出兵與東亞近代國家的再編」、『アジア文化交流研究』関西大学アジア文化交流研究センター、2010年。四、西文資料1、Liu,Kwang-Ching,‘’China`s early modernization and reform movement : studies in late nineteenth-century China and American-Chinese relations‘’,Taipei, Academic Sinica,2009.2、Yen, Sophia Su-Fei, ‘’Taiwan in China`s foreign relations, 1836-1874‘’,Hamden Conn:Shoe String Press,1965.3、D.R. 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