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題名 日本男性讀舞鶴《餘生》與津島佑子《過於野蠻》以中村勝《捕囚》與去殖民概念為主
其他題名 日本人男性が読む舞鶴『余生』と津島佑子『あまりに野蛮な』中村勝の『捕囚』と脱植民化概念を中心に
作者 中村平
貢獻者 國立政治大學 原住民族研究中心
日期 2010-08-26
上傳時間 24-Dec-2015 16:30:54 (UTC+8)
摘要 本報告透過舞鶴的《餘生》(1999)、津島佑子的《過於野蠻》(日文2009)、以及中村勝《捕囚:關於殖民國家台灣之主體自然與社會權力的歷史人類學》(日文2009)的文本(歷史記憶書寫),來探討圍繞台灣原住民族去殖民(decolonization)的課題。舞鶴站在台灣漢人男性的立場,津島佑子站在喪失過孩子的日本女性之立場,寫實地描述日本殖民統治對當代台灣原住民族的影響。中村勝以資本主義與國家的勾結(中村所謂的「殖民國家資本」)為分析基礎,實證地描述以1874年日本「台灣出征」(牡丹社事件)與殖民統治初期(1910和20年代為主)殖民主義暴力在台灣山地的展開。雖然這三者利用的方式(小說與學術)、描述的時間對象(現在與過去的糾纏關係、以及過去歷史)、主題對象(田野工作者圍繞霧社所經驗的事、1930和2000年代女性與暴力創傷記憶、以及殖民國家資本下原住民族的動態)、在站的位置有所不同。但此三者共通的是,面對殖民統治,想盡找出克服它的辦法,換言之貢獻給去殖民理論與實踐的一環。本報告從日本男性的立場,探討和發展重層且複雜的結構中的去殖民概念本身與其重要性,換言之去殖民概念不只是對台灣原住民族男女性,而且是對國族主義下「日本」/「台灣」/「中國」人的必要性。
本報告は舞鶴『余生』(中国語、1999)、津島佑子『あまりに野蛮な』、そして中村勝『捕囚:植民国家台湾の主体的自然と社会的権力の歴史人類学』(2009)のテクスト(歴史と記憶の記述)を通して、台湾原住民族をとりまく脱植民化(decolonization)の課題を検討する。舞鶴は台湾漢人男性の立場から、津島佑子はわが子を亡くした日本女性の立場から、リアルに日本植民統治が現代の台湾原住民族に与えた影響を描写している。中村勝は資本主義と国家の結託(中村の言う「植民国家資本」)を分析の基礎にし、1874年の日本の「台湾出兵」(牡丹社事件)と植民地統治初期(1910から20年代を中心に)に植民主義暴力が台湾山地において展開していったことを実証的に描いている。これら三者の採るスタイル(小説と学術論文)、描写する時間の対象(現在と過去の絡まりあった関係、過去の歴史)、主題となるテーマ(フィールドワーカーが霧社をめぐって経験したこと、1930年代と2000年代の女性と暴力のトラウマ的記憶、植民国家資本の下での原住民族社会)、そして立場はそれぞれ異なる。しかしこれら三者に共通するのは、植民統治に直面して、それぞれの位置からそれを克服する方途を模索するという点であり、それは脱植民理論と実践に貢献する一環となっている。本報告は報告者の日本男性の立場を自覚しつつ、重層的かつ複雑な構造の中にある脱殖民概念自体とその重要性を検討・発展させる。言い換えれば、脱植民概念が台湾原住民族の男性と女性にとってのみならず、ナショナリズム下にある「日本」「台湾」「中国」人にとって重要であることを主張する。
關聯 2010年第三回台日原住民族研究論壇
主辦單位:國立政治大學 原住民族研究中心
舉辦日期:2010.08.26-2010.08.27
資料類型 conference
dc.contributor 國立政治大學 原住民族研究中心
dc.creator (作者) 中村平zh_TW
dc.date (日期) 2010-08-26
dc.date.accessioned 24-Dec-2015 16:30:54 (UTC+8)-
dc.date.available 24-Dec-2015 16:30:54 (UTC+8)-
dc.date.issued (上傳時間) 24-Dec-2015 16:30:54 (UTC+8)-
dc.identifier.uri (URI) http://nccur.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/79777-
dc.description.abstract (摘要) 本報告透過舞鶴的《餘生》(1999)、津島佑子的《過於野蠻》(日文2009)、以及中村勝《捕囚:關於殖民國家台灣之主體自然與社會權力的歷史人類學》(日文2009)的文本(歷史記憶書寫),來探討圍繞台灣原住民族去殖民(decolonization)的課題。舞鶴站在台灣漢人男性的立場,津島佑子站在喪失過孩子的日本女性之立場,寫實地描述日本殖民統治對當代台灣原住民族的影響。中村勝以資本主義與國家的勾結(中村所謂的「殖民國家資本」)為分析基礎,實證地描述以1874年日本「台灣出征」(牡丹社事件)與殖民統治初期(1910和20年代為主)殖民主義暴力在台灣山地的展開。雖然這三者利用的方式(小說與學術)、描述的時間對象(現在與過去的糾纏關係、以及過去歷史)、主題對象(田野工作者圍繞霧社所經驗的事、1930和2000年代女性與暴力創傷記憶、以及殖民國家資本下原住民族的動態)、在站的位置有所不同。但此三者共通的是,面對殖民統治,想盡找出克服它的辦法,換言之貢獻給去殖民理論與實踐的一環。本報告從日本男性的立場,探討和發展重層且複雜的結構中的去殖民概念本身與其重要性,換言之去殖民概念不只是對台灣原住民族男女性,而且是對國族主義下「日本」/「台灣」/「中國」人的必要性。
dc.description.abstract (摘要) 本報告は舞鶴『余生』(中国語、1999)、津島佑子『あまりに野蛮な』、そして中村勝『捕囚:植民国家台湾の主体的自然と社会的権力の歴史人類学』(2009)のテクスト(歴史と記憶の記述)を通して、台湾原住民族をとりまく脱植民化(decolonization)の課題を検討する。舞鶴は台湾漢人男性の立場から、津島佑子はわが子を亡くした日本女性の立場から、リアルに日本植民統治が現代の台湾原住民族に与えた影響を描写している。中村勝は資本主義と国家の結託(中村の言う「植民国家資本」)を分析の基礎にし、1874年の日本の「台湾出兵」(牡丹社事件)と植民地統治初期(1910から20年代を中心に)に植民主義暴力が台湾山地において展開していったことを実証的に描いている。これら三者の採るスタイル(小説と学術論文)、描写する時間の対象(現在と過去の絡まりあった関係、過去の歴史)、主題となるテーマ(フィールドワーカーが霧社をめぐって経験したこと、1930年代と2000年代の女性と暴力のトラウマ的記憶、植民国家資本の下での原住民族社会)、そして立場はそれぞれ異なる。しかしこれら三者に共通するのは、植民統治に直面して、それぞれの位置からそれを克服する方途を模索するという点であり、それは脱植民理論と実践に貢献する一環となっている。本報告は報告者の日本男性の立場を自覚しつつ、重層的かつ複雑な構造の中にある脱殖民概念自体とその重要性を検討・発展させる。言い換えれば、脱植民概念が台湾原住民族の男性と女性にとってのみならず、ナショナリズム下にある「日本」「台湾」「中国」人にとって重要であることを主張する。
dc.format.extent 564370 bytes-
dc.format.mimetype application/pdf-
dc.relation (關聯) 2010年第三回台日原住民族研究論壇
dc.relation (關聯) 主辦單位:國立政治大學 原住民族研究中心
dc.relation (關聯) 舉辦日期:2010.08.26-2010.08.27
dc.title (題名) 日本男性讀舞鶴《餘生》與津島佑子《過於野蠻》以中村勝《捕囚》與去殖民概念為主zh_TW
dc.title.alternative (其他題名) 日本人男性が読む舞鶴『余生』と津島佑子『あまりに野蛮な』中村勝の『捕囚』と脱植民化概念を中心に
dc.type (資料類型) conference