2024-03 |
反転する啓蒙―東アジアの反啓蒙主義の系譜とジェンダー化の論理― |
article |
pdf(59) |
2023-11 |
混沌未分としての「古」(いにしへ)―古今伝受・中世日本紀・仏教学の言説を中心として― |
conference |
pdf(69) |
2023-08 |
日本學指南:100本研究日本人文科學領域主題的經典專書 |
book |
web page(139) |
2023-08 |
總論—學習文學的理由? |
book/chapter |
web page(127) |
2023-08 |
78. 白根治夫(Haruo Shirane)、鈴木登美編,《被創造的古典:正典形成、民族國家、日本文學》,1999年 |
book/chapter |
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2023-03 |
[ワークショップ登壇者]「将来の「地域モデルとしての漢字文化圏の人文学の創成」に対してどのような貢献が可能か」など |
conference |
web page(112) |
2022-10 |
東アジアにおける反啓蒙主義言説の系譜―古典思想から現代の「かわいい」言説に至るまで― |
conference |
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2022-04 |
海と観音と禅―無学祖元の観音信仰― |
article |
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2021-04 |
「なぜ〈文〉学を学ぶのか―〈文〉の脱中心的構造に着目して―」 |
conference |
web page(328) |
2020-03 |
忘れなければならない―中世禅林詩学における〈空虚な主体〉への/からの眼差し― |
article |
web page(375) |
2020-01 |
透明な声、隔たりの消失―古典世界において〈一つ〉の世界はいかに想像されたか― |
book/chapter |
web page(379) |
2019-11 |
多様でありながら同一であること |
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2019-03 |
中世禅林詩学から古典を開く―自己と時間の根源(origin)へ向かって― |
book |
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2019-03 |
渡唐天神像を可能にする諸条件―薩摩福昌寺に由来する所説の検証を通して― |
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web page(402) |
2019-01 |
テクストとしての自然-中世禅林詩学において〈四季〉とは何か- |
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pdf(237) |
2018-12 |
越境する詩人の群れ―明極楚俊・竺仙梵僊・天岸慧広の東行の経路を辿って― |
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2018-01 |
動かない時間―室町禅林詩学における恒常不変的なものへの/からの眼差し― |
book |
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2016-11 |
古典と二つの多数者性 |
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web page(560) |
2016-06 |
台湾の「國文」教育について |
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pdf(398) |
2015-11 |
〈他者〉としての古典――中世禅林詩学論攷―― |
book/chapter |
web page(446) |
2013-03 |
中世禅林詩学における言語(の〈外部〉[彼岸])への視座 : 言語と〈心〉の不均衡な呼応関係 <論文> |
article |
pdf(348) |
2013-03 |
中世禅林詩学における言語(の〈外部〉)への視座―言語と〈心〉の不均衡な呼応関係― |
article |
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2012-07 |
法の〈外〉へ/から――日本中世禅林詩学における〈幼児性(インファンティア)〉(infanzia)への(或いは、としての)眼差し―― |
book/chapter |
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2012-03 |
漂泊する規範 : 「五山文学の母体」を語りなおす <論文> |
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pdf(283) |
2012-03 |
漂泊する規範――「五山文学の母体」を語り直す―― |
article |
pdf(233) |