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題名 台灣「棒球文化」的建構與敘事模式:以台灣的「王貞治」形象(1965-2020)為主
The Construction and Narrative Modes of Taiwanese “baseball culture”: With a focus on the image of “Oh Sadaharu” in Taiwan (1965-2020)作者 葉静嘉
Yeh, Jing-Jia貢獻者 山藤夏郎
Santoh, Natsuo
葉静嘉
Yeh, Jing-Jia關鍵詞 台灣棒球
運動文化
台灣體育史
王貞治
國族敘事
台湾野球
スポーツ文化
台湾スポーツ史
王貞治
ナショナルヒストリー日期 2021 上傳時間 2-Sep-2021 15:17:59 (UTC+8) 摘要 本研究試圖從知名的日本前棒球選手王貞治與台灣的歷史,以及分析這段歷史與台灣棒球的關係,來釐清台灣棒球文化中「王貞治」的位置,以及台灣棒球如何被編入國族敘事。王貞治作為日本最具代表性的棒球選手之一,在台灣也頗具知名度。至今,王貞治仍被台灣媒體稱為「旅日名將」,但台灣與王貞治的交流源自1960年代的事實,卻已經逐漸被台灣社會淡忘。「王貞治」為何會在台灣有名?他從未代表中華民國,那麼王貞治在台灣扮演什麼角色,以至於其形象能夠延續至今?身為中日混血、華僑二代的王貞治,也勢必與政治脫不了關係。王貞治首度及二度造訪台灣是在1965、1966年,當時他的形象被建構為「中國人的英雄」,目的在於使當時的台灣民眾對如此形象的王貞治產生認同感,建立中國人認同。到了1990年代的民主化時代,棒球已經成為台灣民眾凝聚認同國族的象徵,而王貞治的形象繼續被當作台灣政治人物用來表示自己關心棒球的工具。這個行為同時也延續了國民黨建構的國族敘事。不過本研究認為,當日本的王貞治形象透過日本大眾文化傳來台灣,台灣人因此多了可以思考自我歷史認識的機會,不再將王貞治單純視作中國人的英雄。
本研究は、日本の元プロ野球選手である王貞治と台湾の歴史、ならびにその歴史と台湾野球との関連性に関する分析を通して、台湾野球文化の中に「王貞治」という人物が配置されてきた文脈を整理し、さらに台湾野球がナショナルヒストリーとしてどのように構築されてきたのかを、その変化のプロセスとともに明らかにすることを試みるものである。日本を代表する野球選手であった王貞治だが、台湾でも広く知られた存在であり、現在でも台湾メディアは王のことを「旅日名将」(日本に進出した名選手の意)と呼んでいる。だが、その一方で、王貞治と台湾の交流が早くも1960年代には既にはじまっていたという事実は、台湾社会からはほとんど忘れ去られた事実となっている。王貞治は中華民国国籍である(と言われる)が、中華民国代表選手・監督になったことはない。にもかかわらず、王貞治が台湾で広く知られた存在であるのはなぜなのか、そのイメージが数十年の長きにもわたって維持・継承されてきたのはなぜなのか。中国と日本のハーフ、華僑二世である王貞治と台湾との交流は、基本的には政治的理由からはじまっている。王が初めて台湾を訪れたのは1965年であるが、その年、或いはその翌年の1966年の段階で既に「中国人の英雄」というイメージの構築がなされていた。その目的は、当時の台湾民衆に、王に対する憧れとともに一体感を感じさせることで、彼らの中に中国人というアイデンティティを植えつけることにあった。王貞治のイメージは、1990年代の民主化以降、大衆人気の高い野球の庇護者という自己イメージを政治家が構築・宣言するための道具として使われるようになった。そしてこの手段もまた、国民党が構築したナショナルヒストリーを維持・継承したものであった。しかし、同時に、日本の王貞治イメージが日本の大衆文化とともに台湾に流入してきたことで、台湾の民衆が自らの歴史認識のあり方を再考するきっかけとなったのも事実であった。參考文獻 《日本語文献》(著者名、五十音順)〈事典、人物録、年表など〉岸野雄三ほか編、1987『最新スポーツ大事典』東京:大修館書店.ベースボール・マガジン社編、2004『プロ野球70年史 1934→2004 歴史編』東京:ベースボール・マガジン社.読売新聞100年史編集委員会編、1976『読売新聞百年史. 資料・年表』東京:読売新聞社.〈著作、論文など〉Assmann, Aleida., 2016, Das neue Unbehagen an der Erinnerungskultur, Munich: Verlag C.H.BECK oHG (=アライダ・アスマン、2019『想起の文化 : 忘却から対話へ』、安川晴基訳、東京:岩波書店).Assman, Jan., 2001, “Das kulturelle Gedächtnis”, Wolfgang Schluchter eds., Kolloquien des Max Weber-Kollegs XV-XXIII, Erfurt: Universität Erfurt (=ヤン・アスマン、2016「文化的記憶」高橋慎也・山中奈緒美訳、『思想』1103:29-46).Boorstin, Daniel J., 1962, The Image: A Guide to Pseudo-events in America, NY: Harper (=D.J.ブーアスティン、[初版1964]1980『幻影(イメジ)の時代:マス・コミが製造する事実』星野郁美・後藤和彦訳、東京:東京創元社、第22版).Cromartie, Warren and Whiting, Robert, 1991, Slugging It Out in Japan: An American Major-Leaguer in the Tokyo Outfield, Kodansha, (=ウォーレン・クロマティ, ロバート・ホワイティング、1992『さらばサムライ野球』松井みどり訳、東京 : 講談社).Grupe, Ommo, 1987, Sport als Kultur, Zürich: EDITION INTERFROM (=オモー・グルーペ、1997『文化としてのスポーツ』永島惇正・岡出美則・市場俊之共訳、東京:ベースボール・マガジン社).Halbwachs, Maurice, 1925, Les cadres sociaux de la mémoire, Paris: F. 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國立政治大學
日本語文學系
107556003資料來源 http://thesis.lib.nccu.edu.tw/record/#G0107556003 資料類型 thesis dc.contributor.advisor 山藤夏郎 zh_TW dc.contributor.advisor Santoh, Natsuo en_US dc.contributor.author (Authors) 葉静嘉 zh_TW dc.contributor.author (Authors) Yeh, Jing-Jia en_US dc.creator (作者) 葉静嘉 zh_TW dc.creator (作者) Yeh, Jing-Jia en_US dc.date (日期) 2021 en_US dc.date.accessioned 2-Sep-2021 15:17:59 (UTC+8) - dc.date.available 2-Sep-2021 15:17:59 (UTC+8) - dc.date.issued (上傳時間) 2-Sep-2021 15:17:59 (UTC+8) - dc.identifier (Other Identifiers) G0107556003 en_US dc.identifier.uri (URI) http://nccur.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/136809 - dc.description (描述) 碩士 zh_TW dc.description (描述) 國立政治大學 zh_TW dc.description (描述) 日本語文學系 zh_TW dc.description (描述) 107556003 zh_TW dc.description.abstract (摘要) 本研究試圖從知名的日本前棒球選手王貞治與台灣的歷史,以及分析這段歷史與台灣棒球的關係,來釐清台灣棒球文化中「王貞治」的位置,以及台灣棒球如何被編入國族敘事。王貞治作為日本最具代表性的棒球選手之一,在台灣也頗具知名度。至今,王貞治仍被台灣媒體稱為「旅日名將」,但台灣與王貞治的交流源自1960年代的事實,卻已經逐漸被台灣社會淡忘。「王貞治」為何會在台灣有名?他從未代表中華民國,那麼王貞治在台灣扮演什麼角色,以至於其形象能夠延續至今?身為中日混血、華僑二代的王貞治,也勢必與政治脫不了關係。王貞治首度及二度造訪台灣是在1965、1966年,當時他的形象被建構為「中國人的英雄」,目的在於使當時的台灣民眾對如此形象的王貞治產生認同感,建立中國人認同。到了1990年代的民主化時代,棒球已經成為台灣民眾凝聚認同國族的象徵,而王貞治的形象繼續被當作台灣政治人物用來表示自己關心棒球的工具。這個行為同時也延續了國民黨建構的國族敘事。不過本研究認為,當日本的王貞治形象透過日本大眾文化傳來台灣,台灣人因此多了可以思考自我歷史認識的機會,不再將王貞治單純視作中國人的英雄。 zh_TW dc.description.abstract (摘要) 本研究は、日本の元プロ野球選手である王貞治と台湾の歴史、ならびにその歴史と台湾野球との関連性に関する分析を通して、台湾野球文化の中に「王貞治」という人物が配置されてきた文脈を整理し、さらに台湾野球がナショナルヒストリーとしてどのように構築されてきたのかを、その変化のプロセスとともに明らかにすることを試みるものである。日本を代表する野球選手であった王貞治だが、台湾でも広く知られた存在であり、現在でも台湾メディアは王のことを「旅日名将」(日本に進出した名選手の意)と呼んでいる。だが、その一方で、王貞治と台湾の交流が早くも1960年代には既にはじまっていたという事実は、台湾社会からはほとんど忘れ去られた事実となっている。王貞治は中華民国国籍である(と言われる)が、中華民国代表選手・監督になったことはない。にもかかわらず、王貞治が台湾で広く知られた存在であるのはなぜなのか、そのイメージが数十年の長きにもわたって維持・継承されてきたのはなぜなのか。中国と日本のハーフ、華僑二世である王貞治と台湾との交流は、基本的には政治的理由からはじまっている。王が初めて台湾を訪れたのは1965年であるが、その年、或いはその翌年の1966年の段階で既に「中国人の英雄」というイメージの構築がなされていた。その目的は、当時の台湾民衆に、王に対する憧れとともに一体感を感じさせることで、彼らの中に中国人というアイデンティティを植えつけることにあった。王貞治のイメージは、1990年代の民主化以降、大衆人気の高い野球の庇護者という自己イメージを政治家が構築・宣言するための道具として使われるようになった。そしてこの手段もまた、国民党が構築したナショナルヒストリーを維持・継承したものであった。しかし、同時に、日本の王貞治イメージが日本の大衆文化とともに台湾に流入してきたことで、台湾の民衆が自らの歴史認識のあり方を再考するきっかけとなったのも事実であった。 en_US dc.description.tableofcontents 概要 1摘要 2目次 3図表 6凡例 7序論 8第1節 王貞治に関する先行研究の整理と考察 8第2節 問題提起――台湾野球文化の「文化主体」について 12台湾野球文化の特殊性――日本化と中国化を経て 12台湾野球文化に関する先行研究について 13ナショナリズム的野球論の枠組み、およびその限界 15第3節 本研究における方法論的志向性 17集合的記憶と文化的記憶 18本研究の構成 20第1章 日本統治時代の台湾野球史を再考する ――「台湾野球」はどこからやってきたのか―― 221.1 日本時代における身体教育 231.2 日本時代における野球の発展 241.3 能高団――台湾野球文化に包摂されたアミ族の野球史 261.4 KANO――嘉義農林学校野球部の甲子園伝説 281.4.1 嘉農野球部の創設から甲子園進出まで 301.4.2 内地と台湾の「嘉農」認識 311.5 戦後における日本時代台湾野球史のナラティヴモード 34結びにかえて 38第2章 戦後国民党政府と野球について 402.1 国民党政府の体育思想 422.2 近代中国における野球の伝来と受容 442.3 戦後初期における台湾野球の発展について 452.4 スポーツ外交の方針――バスケットボールと野球を中心に 472.5 初の中国人野球スター選手の誕生――王貞治の台湾訪問 502.5.1 「中国人」王貞治の構築 55結びにかえて 64第3章 ナショナルヒストリーとしての野球の成立と その発展過程(1968~1970年代)について 663.1 1968年――野球とナショナルヒストリーの接合点 673.2 1970年代――野球におけるナショナリズム言説の展開 72結びにかえて 80第4章 「野球=国球」説の登場(1980年代以降) 824.1 1980~1990年代 834.2 2000年代以降 874.3 現代台湾と王貞治のイメージについて 94結びに代えて 100結論 102今後の課題 104参考文献 105《日本語文献》(著者名、五十音順) 105事典、人物録、年表など 105著作、論文など 105学位論文 107新聞 107ネット資料 107映像資料 108《中国語文献》(著者名、筆画数順) 108一次史料 108著作、論文など 108学位論文 109新聞(出版年月日順、署名記事優先) 110映像資料 111《英語文献》 112著作、論文など 112付録1 王貞治年表付録2 台湾で出版された王貞治関連の出版物 zh_TW dc.format.extent 2861539 bytes - dc.format.mimetype application/pdf - dc.source.uri (資料來源) http://thesis.lib.nccu.edu.tw/record/#G0107556003 en_US dc.subject (關鍵詞) 台灣棒球 zh_TW dc.subject (關鍵詞) 運動文化 zh_TW dc.subject (關鍵詞) 台灣體育史 zh_TW dc.subject (關鍵詞) 王貞治 zh_TW dc.subject (關鍵詞) 國族敘事 zh_TW dc.subject (關鍵詞) 台湾野球 en_US dc.subject (關鍵詞) スポーツ文化 en_US dc.subject (關鍵詞) 台湾スポーツ史 en_US dc.subject (關鍵詞) 王貞治 en_US dc.subject (關鍵詞) ナショナルヒストリー en_US dc.title (題名) 台灣「棒球文化」的建構與敘事模式:以台灣的「王貞治」形象(1965-2020)為主 zh_TW dc.title (題名) The Construction and Narrative Modes of Taiwanese “baseball culture”: With a focus on the image of “Oh Sadaharu” in Taiwan (1965-2020) en_US dc.type (資料類型) thesis en_US dc.relation.reference (參考文獻) 《日本語文献》(著者名、五十音順)〈事典、人物録、年表など〉岸野雄三ほか編、1987『最新スポーツ大事典』東京:大修館書店.ベースボール・マガジン社編、2004『プロ野球70年史 1934→2004 歴史編』東京:ベースボール・マガジン社.読売新聞100年史編集委員会編、1976『読売新聞百年史. 資料・年表』東京:読売新聞社.〈著作、論文など〉Assmann, Aleida., 2016, Das neue Unbehagen an der Erinnerungskultur, Munich: Verlag C.H.BECK oHG (=アライダ・アスマン、2019『想起の文化 : 忘却から対話へ』、安川晴基訳、東京:岩波書店).Assman, Jan., 2001, “Das kulturelle Gedächtnis”, Wolfgang Schluchter eds., Kolloquien des Max Weber-Kollegs XV-XXIII, Erfurt: Universität Erfurt (=ヤン・アスマン、2016「文化的記憶」高橋慎也・山中奈緒美訳、『思想』1103:29-46).Boorstin, Daniel J., 1962, The Image: A Guide to Pseudo-events in America, NY: Harper (=D.J.ブーアスティン、[初版1964]1980『幻影(イメジ)の時代:マス・コミが製造する事実』星野郁美・後藤和彦訳、東京:東京創元社、第22版).Cromartie, Warren and Whiting, Robert, 1991, Slugging It Out in Japan: An American Major-Leaguer in the Tokyo Outfield, Kodansha, (=ウォーレン・クロマティ, ロバート・ホワイティング、1992『さらばサムライ野球』松井みどり訳、東京 : 講談社).Grupe, Ommo, 1987, Sport als Kultur, Zürich: EDITION INTERFROM (=オモー・グルーペ、1997『文化としてのスポーツ』永島惇正・岡出美則・市場俊之共訳、東京:ベースボール・マガジン社).Halbwachs, Maurice, 1925, Les cadres sociaux de la mémoire, Paris: F. 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