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題名 中世日本佛教的持戒與破戒諸相—追溯不殺生戒之歷史變遷
中世日本仏教における持戒と破戒の諸相 ――不殺生戒の歴史的変遷をたどって――
作者 楊善媛
Yang, Shan-Yuan
貢獻者 山藤夏郎
Santoh, Natuo
楊善媛
Yang, Shan-Yuan
關鍵詞 戒律
不殺生
末法思想
機.法深信
法華經
戒律
不殺生
末法思想
機・法深信
法華経
日期 2023
上傳時間 2-Jan-2024 15:21:52 (UTC+8)
摘要 佛教自中國傳入日本後已有一千四百年的歷史,其中三學之一的戒律在古代也隨著佛法的傳播,於日本社會落地生根。大乘戒的第一重戒—不殺生戒—不僅影響了日本的佛教僧侶,還觸及了當時權力核心的天皇、貴族以及幕府。隨著佛教在民間的推廣,「不殺生」思想也逐漸滲透到整個日本社會。然而,歷史回顧揭示了自中世起僧侶破戒情況時有所聞的事實。其中,鎌倉新佛教中的不少宗祖皆對戒律.不殺生戒表現出寬容之態度。特別是親鸞雖為佛教僧侶,但卻在離開叡山之後破戒,不僅娶妻還食肉;而日蓮則在龍口法難之後表示要斬殺其他宗派之謗法僧。究竟是什麼原因使得親鸞和日蓮對戒律和不殺生戒表現出如此寬容的態度?他們所奉行的思想理論和戒律觀又如何影響了他們的不殺生思想?這又與中世日本社會和當時盛行的末法思想有何關聯? 為了深入探討這些問題,本研究首先簡要考察佛教戒律的整體發展、在日本的受容情形以及不殺生戒在戒律中的位置。從考察中可以發現,對於釋迦而言,戒律雖重要但不能夠太執著於戒律之遵守。並且相對於嚴格規範外在行為的小乘戒,大乘戒則是較重視內在之清淨。不過,不管是大乘戒還是小乘戒,都可以藉由文獻看到不殺生戒在佛教戒律中的重要性。而古代日本在傳入佛教戒律之後,天台宗宗祖最澄開創了單受大乘戒之改革,並且新佛教宗祖當中的親鸞和日蓮皆出身自天台宗,在天台宗的經歷也影響了其之後的思想及戒律觀。 對於親鸞來說,末法時代使他相信,比起戒律,機深信和法深信更加重要。他認為,只要一個人意識到自己是一個「惡人」,並依賴「他力」,就能夠往生極樂淨土。而日蓮則強調持經即持戒、乘急戒緩、正法護持即持戒以及法華経的題目唱題即持戒等戒觀,將《法華經》視為評判持戒或破戒的標準。在末法時代,對《法華經》的信仰被視為至高無上,為了維護法華信仰,即使違反了不殺生戒,也被認為是最高的功德。因此,為了讓更多人能夠達到極樂或成佛,親鸞和日蓮根據自己的經歷和思想理論,選擇了捨棄或簡化戒律的修行方式。這在當時盛行末法思想的中世日本社會似乎是不可避免的。然而,不容忽視的是,他們也因此忽略了佛教中尊重和守護生命的思想的重要性。 總體而言,本研究注意到了上述所提出之問題,並旨在綜合考察中世日本佛教中持戒和破戒的諸相。
日本において仏教は伝来以来、千四百年以上の歴史を持ち、三学の一つである戒律、中でも大乗戒の筆頭たる「不殺生戒」は、早くから日本社会全体に深く浸透していた。この「不殺生戒」は仏教界のみならず、当時の権力の中核をなす天皇、貴族、武士階級にも大きな影響を与えていた。しかし、中世になると、僧侶の間に破戒の傾向が見られ、鎌倉新仏教の宗祖の中には、戒律や「不殺生戒」に対して寛容な態度を取る者も現れ始めた。例えば、親鸞は比叡山を離れた後、戒律を破り肉食妻帯を行い、日蓮は「竜の口の法難」後に他宗派に対する「謗法斬罪」を主張していた。では、なぜ親鸞や日蓮は、戒律や「不殺生戒」に対してこのように寛容な態度を示していたのだろうか。また、彼らの信奉した教義や戒律観は、彼らの「不殺生」思想にどのように影響を与えたのだろうか。さらに、それは中世社会において拡大した末法思想とどのような関係にあったのだろうか。 これらの問題を探究するため、本研究では、まず仏教戒律の発展、日本における受容、および「不殺生戒」の位置づけを概観していく。釈迦は戒律の重要性を説きつつも、過度の拘泥を戒めていた、ということが確認されるが、その後、仏教の戒律は、小乗戒が外的行為を厳しく規制したのに対し、大乗戒は内面の清浄に重点を置くという形で方向性を分岐させていった。もちろん、そのいずれもが「不殺生戒」の重要性を認めるという点で共通するものであったが、さらに日本で仏教戒律が受容されて以後、天台宗の開祖である最澄が「単受菩薩戒」(菩薩戒のみで正式な比丘になれるとする考え)を説いたことで新たな展開を見せることとなった。また、本研究で中心的に取り上げる親鸞や日蓮の思想・戒律観もまた、彼らの天台宗での修行経験の中で培われたものであったことが知られている。 そして、親鸞は、末法時代においては戒律よりも「機深信」と「法深信」が重要になると説き、自己が「悪人」であることを自認することで、「他力」本願による極楽往生が可能になると唱えていた。一方で、日蓮は「持経即持戒」「乗急戒緩」「正法護持即持戒」といった戒観を強調し、『法華経』を持戒または破戒の基準に位置づけていた。末法時代において『法華経』への帰依は至高とされ、その信仰のためならば「不殺生戒」に違反しても最高の功徳が得られると説いたのである。親鸞と日蓮は、衆生の往生や成仏のために、自らの経験と思想理論に基づいて、戒律を捨て、簡略化する修行方法を選択したが、これは末法思想が広まっていた中世日本社会においては避けられない事態であった。だが、その一方で、彼らの破戒的な傾向は、生命尊重という仏教思想の重要な要素を後退させる一面を持っていたことも確かであった。 本研究では、以上の点に留意しつつ、中世日本仏教における持戒と破戒の諸相について総合的な検証を試みることを目指す。
參考文獻 赤松俊秀等編集(1974)『唯信鈔文意』法藏館 井上光貞校注(1976)『律令』〈日本思想大系3〉岩波書店 石田瑞麿(1975→1985)『梵網經』大蔵出版 石田瑞麿(1986)『日本仏教思想研究―第1巻戒律の研究』法蔵館 石田瑞麿(1965)「日蓮初期の戒觀について」『印度學佛教學研究』13、pp.715-718 岩井憲照(1990)「叡尊教団における戒律復興運動ー菩薩戒授戒を中心にー」『歴史研究』36、pp.21-41 石黒吉次郎(2006)「殺生譚の変貌(1)―中世説話から近世説話へ―」『専修国文』79、pp.21-40、pp.21-22 池田英俊(1989)「近代仏教の形成と「肉食妻帯論」をめぐる問題」『印度學佛教學研究』37、pp.774-780 伊藤信博(2005)「『日本霊異記』から見る律令国家の王土思想」『言語文化研究叢書』4、pp.19-35 上田本昌(1961)「日蓮聖人に於ける持戒の考察」『印度學佛教學研究』9、pp.164-165 上島享(2012)「〈中世仏教〉再考―二項対立論を超えて」『日本仏教綜合研究』10、pp.89-116 岡宏(1999)「『涅槃経』の戒律説についての一考察」『印度學佛教學研究』47、pp.853-855 大山眞一(2009)「中世武士の生死観(2)―中世武士と祖師の交渉―」『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』9、pp.81-92 扇田幹夫(1970)「日蓮における末法思想の受容と克服」『論集』16、pp.45-63 大野達之助(1973)「最澄の大乗戒壇設立について―2」『駒澤大学文学部史学会』20、pp.18-25 加藤精純(2020)「弘法大師教学における五戒の位置」『智山学報』69、pp.99-117 鏡光隆(2012)「日蓮聖人の罪意識における一考察」『桂林学叢』23、pp.109-131 金子大栄校注(1931→1981)『歎異抄』岩波書店 杵築宏典(1993)「親鸞における衆生利益観 -殺生戒をめぐって-」『印度學佛教學研究』42、pp.121-123 北川前肇(2012)「日蓮における無戒思想の宗教的意味」『宗教研究』371、pp.365-366 小瀬修達(2008)「『立正安国論』における戒律思想」『現代宗教研究』42、pp.76-107 熊田健二(2000)「親鸞の思想とその思想史的意義」『倫理学』17、pp.1-14 小島恵昭(1982)「「殺生」観の中世的展開―中世前期における殺生禁断を中心として―」『同朋学園仏教文化研究所紀要』4、pp.57-79 佐藤達玄(2008)『新国訳大蔵経 律部〈7〉四分律比丘戒本・四分律比丘尼戒本』大蔵出版 坂本太郎等校注(1965→1994)『日本書紀』岩波書店 笹森行周(2006)「日蓮に於ける不殺生戒と殉教思想」『インド哲学仏教学』21、pp.237-248 金子大榮校訂(1957)『教行信證』岩波書店 親鸞著(1929)『親鸞聖人御真蹟浄肉文』専修寺 苅米一志(2015)『殺生と往生のあいだ中世―仏教と民衆生活』吉川弘文館、pp.21-26 下田正弘(1990)「東アジア仏教の戒律の特色―肉食禁止の由来をめぐって」『東洋学術研究』29−4、pp.98-110 新井俊一(2008)「親鸞における無戒の論理」『日本仏教学会年報』74、pp.15-26 ジャクリーン・ストーン(2014)『法華経と日蓮』春秋社 浄土宗典刊行会編(1929)『浄土宗全書』第九巻、浄土宗典刊行会 孫航(2020)『殺生禁断をめぐる日中両国の仏教文化比較』(北九州市立大学大学院社会システム研究科博士(学術)学位請求論文) 清田義英(1982)「中世死罪考」『早稲田法学』57、pp.251-274 高橋審也(2008)「初期大乗仏教教団と戒律」『日本仏教学会年報』74、pp.133-148 鶴見晃(2021)「「屠沽の下類」考―河田光夫と親鸞─」『同朋大学佛教文化研究所紀要』40、pp.1-21 坪井俊映(2005)『法然浄土教要文集』平楽寺書店 土橋秀高(1967→1984)『仏教における戒の問題』平楽寺書店 天台宗叡山學院編(1926-1927)『傳教大師全集』巻一 戸頃重基(1965)『日蓮の思想と鎌倉佛敎』富山房 戸頃重基(1972)『近代社会と日蓮主義』評論社 名畑崇(1963)「親鸞聖人の六角夢想の偈について」『眞宗連合學會研究紀要』8、pp.56-66 中山彰信(2009)「『教行信証』における戒律と倫理」『九州情報大学研究論集』11、pp.149-160 中村元(1984)『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店 長崎法潤(1981)「佛教とジャイナ教―五戒、八斎戒を中心にして―」『佛教学セミナー』34、pp.50-60 野沢敬(1986)「南都北嶺―旧仏教の自己変革」『鎌倉仏教(週刊朝日百科7 日本の歴史 中世Ⅰ-7)』朝日新聞社、p.208 原田信男(1995)「中世における殺生観の展開」『国立歴史民俗博物館研究報告』61、p.37 原田霊道(1922)『大般涅槃経 現代意訳』仏教経典叢書刊行会 大橋俊雄校注(1997)『選択本願念仏集』岩波書店 花園一実(2011)「末法思想の日本的展開」『現代と親鸞』22、pp.2-25 平川彰(1994)『原始仏教から大乗仏教へ』春秋社 平川彰(1998)『比丘尼律の研究』春秋社 平川彰(1990)『浄土思想と大乗戒』春秋社 平川彰(1954)「戒律より見たる根本眞理」『印度學佛教學研究』3、pp.62-67 平川彰(1982)「日本思想史と戒律仏教」『東洋学術研究』21、pp.1-18 平松令三(2005)『親鸞の生涯と思想』吉川弘文館 仏教説話大系編集委員会 (著)(1985)『仏教説話大系27―戒律と規範』鈴木出版 末木文美士(2011)『大乗仏教の実践』春秋社 松尾剛次(1995)『勧進と破戒の中世史―中世仏教の実相―』吉川弘文館 松尾剛次(2006)『思想の身体』春秋社 松岡幹夫(2003)「日蓮仏教と宗教多元主義 」『東洋哲学研究所紀要』19、pp.28-58 松岡幹夫(2005)「日蓮における平和の思想と実践」『東洋哲学研究所紀要』21、pp.3-39 三井晶史訳(1922)『大品般若經』佛教經典叢書刊行會 蓑輪顕量(2003)「中世南都における戒律の復興」『佛教学セミナー』77、pp.60-82 浅井要麟編著(1934→1993)『昭和新修日蓮聖人遺文全集』上、平楽寺書店 浅井要麟編著(1934→1993)『昭和新修日蓮聖人遺文全集』下、平楽寺書店 山中喜八編著(1980→2014)『定本注法華経』法藏館 日置英剛(2003)『僧兵の歴史―法と鎧をまとった荒法師たち』、戎光祥出版、pp.330-331 日種随翁(2013)「日蓮聖人における戒思想について」『興隆学林紀要』13、pp.31-40 野中隆諶(1999)「日蓮遺文における「是名持戒」について」『日蓮教学研究所紀要』26、pp.117-121 了恵編、大高文進校訂(1881)『黒谷上人語燈録』法藏館 吉津宜英(1989)「法蔵以前の『梵網経』諸注釈書について」『駒澤地學佛教學部研究紀要』47、pp.47-94 吉田宗男(1997)「親鸞の肉食観―『浄肉文』を通して」『印度學佛教學研究』45、pp.577-580 和島芳男(1953)「忍性菩薩伝―中世における戒律復興の史的研究」『論集』1、pp.1-37 王建光(2005)『新譯梵網經』三民 屈大成(2007)「佛教戒律的方便精神」『正觀雜誌』40、pp.190-207 翁小惠(2007)「早期佛教不殺生觀念的比較探討-以耆那教、《摩奴法典》為對象」、東方人文思想研究所碩士論文 釋昭慧(1996)「戒律之原理--以不殺生戒為例」『東方宗教研究』7、國立藝術學院傳統藝術研究中心、pp.71-93
描述 碩士
國立政治大學
日本語文學系
110556001
資料來源 http://thesis.lib.nccu.edu.tw/record/#G0110556001
資料類型 thesis
dc.contributor.advisor 山藤夏郎zh_TW
dc.contributor.advisor Santoh, Natuoen_US
dc.contributor.author (Authors) 楊善媛zh_TW
dc.contributor.author (Authors) Yang, Shan-Yuanen_US
dc.creator (作者) 楊善媛zh_TW
dc.creator (作者) Yang, Shan-Yuanen_US
dc.date (日期) 2023en_US
dc.date.accessioned 2-Jan-2024 15:21:52 (UTC+8)-
dc.date.available 2-Jan-2024 15:21:52 (UTC+8)-
dc.date.issued (上傳時間) 2-Jan-2024 15:21:52 (UTC+8)-
dc.identifier (Other Identifiers) G0110556001en_US
dc.identifier.uri (URI) https://nccur.lib.nccu.edu.tw/handle/140.119/149029-
dc.description (描述) 碩士zh_TW
dc.description (描述) 國立政治大學zh_TW
dc.description (描述) 日本語文學系zh_TW
dc.description (描述) 110556001zh_TW
dc.description.abstract (摘要) 佛教自中國傳入日本後已有一千四百年的歷史,其中三學之一的戒律在古代也隨著佛法的傳播,於日本社會落地生根。大乘戒的第一重戒—不殺生戒—不僅影響了日本的佛教僧侶,還觸及了當時權力核心的天皇、貴族以及幕府。隨著佛教在民間的推廣,「不殺生」思想也逐漸滲透到整個日本社會。然而,歷史回顧揭示了自中世起僧侶破戒情況時有所聞的事實。其中,鎌倉新佛教中的不少宗祖皆對戒律.不殺生戒表現出寬容之態度。特別是親鸞雖為佛教僧侶,但卻在離開叡山之後破戒,不僅娶妻還食肉;而日蓮則在龍口法難之後表示要斬殺其他宗派之謗法僧。究竟是什麼原因使得親鸞和日蓮對戒律和不殺生戒表現出如此寬容的態度?他們所奉行的思想理論和戒律觀又如何影響了他們的不殺生思想?這又與中世日本社會和當時盛行的末法思想有何關聯? 為了深入探討這些問題,本研究首先簡要考察佛教戒律的整體發展、在日本的受容情形以及不殺生戒在戒律中的位置。從考察中可以發現,對於釋迦而言,戒律雖重要但不能夠太執著於戒律之遵守。並且相對於嚴格規範外在行為的小乘戒,大乘戒則是較重視內在之清淨。不過,不管是大乘戒還是小乘戒,都可以藉由文獻看到不殺生戒在佛教戒律中的重要性。而古代日本在傳入佛教戒律之後,天台宗宗祖最澄開創了單受大乘戒之改革,並且新佛教宗祖當中的親鸞和日蓮皆出身自天台宗,在天台宗的經歷也影響了其之後的思想及戒律觀。 對於親鸞來說,末法時代使他相信,比起戒律,機深信和法深信更加重要。他認為,只要一個人意識到自己是一個「惡人」,並依賴「他力」,就能夠往生極樂淨土。而日蓮則強調持經即持戒、乘急戒緩、正法護持即持戒以及法華経的題目唱題即持戒等戒觀,將《法華經》視為評判持戒或破戒的標準。在末法時代,對《法華經》的信仰被視為至高無上,為了維護法華信仰,即使違反了不殺生戒,也被認為是最高的功德。因此,為了讓更多人能夠達到極樂或成佛,親鸞和日蓮根據自己的經歷和思想理論,選擇了捨棄或簡化戒律的修行方式。這在當時盛行末法思想的中世日本社會似乎是不可避免的。然而,不容忽視的是,他們也因此忽略了佛教中尊重和守護生命的思想的重要性。 總體而言,本研究注意到了上述所提出之問題,並旨在綜合考察中世日本佛教中持戒和破戒的諸相。zh_TW
dc.description.abstract (摘要) 日本において仏教は伝来以来、千四百年以上の歴史を持ち、三学の一つである戒律、中でも大乗戒の筆頭たる「不殺生戒」は、早くから日本社会全体に深く浸透していた。この「不殺生戒」は仏教界のみならず、当時の権力の中核をなす天皇、貴族、武士階級にも大きな影響を与えていた。しかし、中世になると、僧侶の間に破戒の傾向が見られ、鎌倉新仏教の宗祖の中には、戒律や「不殺生戒」に対して寛容な態度を取る者も現れ始めた。例えば、親鸞は比叡山を離れた後、戒律を破り肉食妻帯を行い、日蓮は「竜の口の法難」後に他宗派に対する「謗法斬罪」を主張していた。では、なぜ親鸞や日蓮は、戒律や「不殺生戒」に対してこのように寛容な態度を示していたのだろうか。また、彼らの信奉した教義や戒律観は、彼らの「不殺生」思想にどのように影響を与えたのだろうか。さらに、それは中世社会において拡大した末法思想とどのような関係にあったのだろうか。 これらの問題を探究するため、本研究では、まず仏教戒律の発展、日本における受容、および「不殺生戒」の位置づけを概観していく。釈迦は戒律の重要性を説きつつも、過度の拘泥を戒めていた、ということが確認されるが、その後、仏教の戒律は、小乗戒が外的行為を厳しく規制したのに対し、大乗戒は内面の清浄に重点を置くという形で方向性を分岐させていった。もちろん、そのいずれもが「不殺生戒」の重要性を認めるという点で共通するものであったが、さらに日本で仏教戒律が受容されて以後、天台宗の開祖である最澄が「単受菩薩戒」(菩薩戒のみで正式な比丘になれるとする考え)を説いたことで新たな展開を見せることとなった。また、本研究で中心的に取り上げる親鸞や日蓮の思想・戒律観もまた、彼らの天台宗での修行経験の中で培われたものであったことが知られている。 そして、親鸞は、末法時代においては戒律よりも「機深信」と「法深信」が重要になると説き、自己が「悪人」であることを自認することで、「他力」本願による極楽往生が可能になると唱えていた。一方で、日蓮は「持経即持戒」「乗急戒緩」「正法護持即持戒」といった戒観を強調し、『法華経』を持戒または破戒の基準に位置づけていた。末法時代において『法華経』への帰依は至高とされ、その信仰のためならば「不殺生戒」に違反しても最高の功徳が得られると説いたのである。親鸞と日蓮は、衆生の往生や成仏のために、自らの経験と思想理論に基づいて、戒律を捨て、簡略化する修行方法を選択したが、これは末法思想が広まっていた中世日本社会においては避けられない事態であった。だが、その一方で、彼らの破戒的な傾向は、生命尊重という仏教思想の重要な要素を後退させる一面を持っていたことも確かであった。 本研究では、以上の点に留意しつつ、中世日本仏教における持戒と破戒の諸相について総合的な検証を試みることを目指す。en_US
dc.description.tableofcontents 第一章 仏教戒律の形成と展開 15 第一節 仏教における「戒律」の意味 15 一・一・1「戒」「律」という語の歴史 15 一・一・2『スッタニパータ』における「戒律」 17 第二節 仏教における「戒律」の展開 19 一・二・1釈迦入滅後の展開―「小乗戒」と「大乗戒」の成立 19 一・二・2「菩薩戒」とは 24 第三節 大乗戒と小乗戒の差異 28 第四節 古代日本における仏教戒律の受容について 33 一・四・1最澄の大乗戒の主張 36 第二章 仏教戒律における不殺生戒の位置づけ 43 第一節 仏教の「護生思想」と不殺生 43 第二節『スッタニパータ』における原始仏教の不殺生思想 48 第三節「五戒」の起源と展開について 51 第四節 大・小乗戒経典における不殺生 55 二・四・1『四分律』における不殺生戒と肉食禁止 55 二・四・2大乗仏教の初期戒律としての「十善道」 57 二・四・3大乗戒律の「菩薩戒」における「不殺生戒」 60 第三章 親鸞の思想における戒律と不殺生 68 第一節 中世仏教と「鎌倉仏教」 68 第二節 親鸞の殺生に対する寛容な姿勢について 72 第三節 親鸞の戒律への眼差し 76 三・三・1親鸞の出家と「六角堂夢告」 78 三・三・2浄土門における念仏・末法思想と戒律 80 三・三・3親鸞における機深信・法深信と持戒・破戒 86 第四節 末法における無戒名字の比丘 93 第五節 親鸞晩年の戒律観と「浄肉文」 98 第四章 日蓮の思想における戒律と不殺生 103 第一節 日蓮の殺生に対する姿勢について 103 第二節 日蓮の戒観について 107 四・二・1日蓮における法華開会の戒体 107 四・二・2日蓮における「持戒」と「乗急戒緩」 111 第三節 末法無戒における持戒と法華経 116 第四節 日蓮における破戒と一闡提への殺生について 120 第五節 中世日本社会と戒・不殺生戒について 129 第六節 題目唱題即持戒 135 結論 141 親鸞と日蓮との比較について 146 今後の課題 150 参考文献 153zh_TW
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dc.format.mimetype application/pdf-
dc.source.uri (資料來源) http://thesis.lib.nccu.edu.tw/record/#G0110556001en_US
dc.subject (關鍵詞) 戒律zh_TW
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dc.title (題名) 中世日本佛教的持戒與破戒諸相—追溯不殺生戒之歷史變遷zh_TW
dc.title (題名) 中世日本仏教における持戒と破戒の諸相 ――不殺生戒の歴史的変遷をたどって――en_US
dc.type (資料類型) thesisen_US
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